湯川笑子「L1教育からイマージョンへー朝鮮学園の継承語保持努力の事例から」

「L1教育からイマージョンへ―朝鮮学園の継承語保持努力の事例から」

湯川笑子(京都ノートルダム女子大学)
Ⓒ2003 YUKAWA

母語・継承語・バイリンガル教育研究会

パネル「もう一つの年少者日本語教育—継承語教育の課題」
パネル4「L1教育からイマージョンへ―
朝鮮学園の継承語保持努力の事例から」
湯川笑子
(京都ノートルダム女子大学)

 4番目のパネラーとして、継承語教育のひとつの実践、朝鮮語イマージョンの事例を紹介したいと思う。コーディネーターから、最初に継承語教育が外国語教育と違う点、および、世界的に継承語教育がかかえる課題をまとめていただいた。私が述べる事例は日本語教育ではなく朝鮮語教育であるが、これは、「風前の灯火」であったり、非常に運営が難しいことが多い継承語教育の中で、戦後半世紀にわたって継承語教育を存続させてきたひとつの成功事例である。継承語教育の実践はそれぞれの事例が独特の社会的背景をもち、それぞれに違った組み合わせの言語を維持する営みであるので、この事例を他の全ての継承語教育現場にそのまま応用すればよいというものではない。しかし、身近なところで実践されているのにあまり知られていない朝鮮学園のイマージョンの実践を、ひとつの継承語教育実践の事例としてこの機会に的さんに紹介したいと思う。
 簡単に朝鮮学園の歴史的背景をさかのぼる。辛(1998)によると、在日コリアンは、1910年の「日韓併合」以来急激に増加したとある。1910年当時は約800人だったのが、1945年初頭には、在日コリアンの数は200万人を超えた。戦後多くの人が帰国したが、「すでに生活の埸盤が日本にあった者や、祖国の親族がすべて亡くなった者、統一した祖国で生活を考えていた者など、さまざまな理由で、約100万人が日本に残」ったとある(p.171)。
 1945年の解放とともに、在日コリアンはそれまでの35年にわたる植民地支配の中で「奪われた民族文化を取り戻す活動を始めた。それは「朝鮮語」を取り戻すこと」(李, 1999:p. 139)でもあった。戦後すぐに、日本全国に朝鮮人による国語講習所が「噴出」(ウリハッキョをつづる会(編)2001:p. 34)し、1955年には、朝鮮民主主義人民共和国(1948年創建)の海外公民としての立場を明確にした在日本朝鮮人総聯が結成され、以後朝鮮学園(以後朝鮮学校と呼ぶ)の運営母体となった(全国に219校(辛, 1998))。
 現在全国に広がる朝鮮学校で学ぶ子どもたちは3世から5世が主流で、その先生は2世か3世が主体である。子どもたちの家庭では日本語が話され、言語シフトが日本語へとほぼ完了した中で子どもたちは日本語を第1言語としておぼえ、幼稚園、あるいは小学校から朝鮮学校に入学して初めて、朝鮮語を第2言語としてイマージョン教育の中で学んでいく。したがって、朝鮮学校の教育実践は日本最大の継承語教育であり、日本最大のイマージョン教育実践だと言えるわけで、継承語教育・バイリンガル教育研究者にとって非常に貴重な資料と知識を包含している。
 1945年に国語講習所として朝鮮学校の前身校が始まった頃の状況について、ウリハッキョをつづる会(編)(2001)は、戦後朝鮮半島への「帰国の順番を待つ間、朝鮮人の親たちが切実に必要としたものが、朝鮮語を知らない子供たちに朝鮮語を覚えさせること」(p.34)であったとしている。したがって、1945年の解放の時点ですでに子どもが使う日常の言語が、かなり日本語にシフトしていたことがうかがえる。しかし少なくとも、朝鮮語の方が日本語よりも得意な1世の親が、家庭内で朝鮮語を日常的に使う(あるいは日本語と併用する)ことは今よりは多かったのではないかと想像できる。また教育目的についても、初期には「『帰国』を前提にしたかのような教育内容」(李, 1999:p.101-103)であったので、言語マジョリティがその国に滞在することを前提に二つ目の言語を育てるイマージョン教育とは異なる要素を持っていたといえるのではないかと思われる。
 学校教育法の第一条に定められた学校ではない朝鮮学校は学校に対する補助金の支給額が少なく、高級学校の卒業生は国立の教育機関への入学受験資格が認められていない[1]。しかしそれにもかかわらず、戦後半世紀にわたって中高級学校を卒業生した生徒は約10万人におよぶ(朴, 1997: 72 植田の2001に引用、1996年10月現在)。
 ここでは、イマージョン教育全般についての文献(Baker, 1996; Hamers and Blanc, 2000)、朝鮮学校教育に関する先行文献(植田, 2001; Ryan, 1997)、および、私自身の朝鮮学校幼稚園での2年間にわたるエスノグラフィーの結果(平成13〜14年度科学研究費補助金研究成果報告書、埸盤研究C、課題番号13680363「京都市の朝鮮学校における朝鮮語・日本語バイリンガル教育の方法と成果」)から、この継承語教育実践の特色を考え、なぜ朝鮮学校が、日本社会の様々な逆風の中で今まで継続され得たのかを考えてみたいと思う。
 朝鮮学校がイマージョンによるバイリンガル教育を行っていることは、まだそれほど知られておらず、朝鮮学校内部でも、「イマージョン」という言葉を知らない人がいることからも、この教育実践が北米やヨーロッパの実践とは別に独自に発達してきたことがわかる。しかし、成功しやすいイマージョンの条件として知られている次の(1)から(6)の要素は全て日本における朝鮮学校教育にあてはまる。また、朝鮮学校の場合には、(7)(8)の要素も早期に高い第2言語産出能力を可能にする重要な役割をはたしていると思われる。
(1)任意入学、任意進路変更可
(2)家族・本人・先生の熱意—強い言語イデオロギー、アイデンティティ形成の一部としての言語
(3)クラス内の生徒の第2言語レベルがみな同じ
(4)先生は言語能力の高いバイリンガル 
(5)2言語に高い価値付与(valorization)—言語を使うソーシャルネットワーク
(6)社会と家での母語のサポート
(7)言語間の距離―語順とシンタクスが似ているので過渡期的にコードスイッチングを多用することで早期に自己表現が容易
(8)朝鮮語を国語とする国がある、また、往来もある
 地域で話されている日本語を第1言語として家庭で使う子どもたちが、あえて学校で未知である朝鮮語(3 クラス内の生徒の第2言語レベルがみな同じ)を学ぶには、バイリンガルになりたいという親と子どもの双方の熱意がいる。約60万人といわれる在日コリアンの中でも特にその意志が強い家族が任意に選択して(1 任意入学、任意進路変更可)朝鮮学校に通うことを決める。しかし日本に住んでいる以上日本語も大切で、学校での日本語という授業の他に、家や塾などによる日本語のサポートが行われる(6 社会と家での母語のサポート)。朝鮮学校の先生は私が知る限り、全員在日コリアンの朝鮮学校出身者であり、日本の英語イマージョンなどの場合と違って、日本に永住している日本語と朝鮮語のバイリンガルである(4 先生は言語能力の高いバイリンガル)。したがってこうした先生がたは子どもにとって貴重なロールモデルとしての役割を果たし、学校が朝鮮語使用場所、朝鮮語を使うソーシャルネットワークの中心として、子どもの目にうつる朝鮮語の社会的価値を高める重要な役割を果たしている(5 2言語に高い価値付与)。
 しかし、継承語教育の実践例として朝鮮学校の営みを考える時、継続の力として一番強く感じるのは、(2)の家族・本人・先生の熱意である。カナダのフレンチイマージョンなどのような政府のサポートがなく、社会的にも逆風が吹く中で、親は私学としての授業料や寄付金を出し、先生も多くはない給与にも関わらず民族教育に身を捧げ、その先生を経済面で先生の家族が支えている。在日コリアンとしてのアイデンティティと、そのアイデンティティの不可欠な一部としての朝鮮語を育てたいという親、祖父母、先生らの熱意こそが、この営みを継続させてきた原動力であったと言える。
 その他には、(7)、(8)の要因もプラスに働いているのではないかと考えられる。きちんと変数を制御した研究結果があるわけではないが、朝鮮語が日本語とシンタクスにおいて似ていて、中国から入ってきた単語など語彙の面でも関連のある語が多いため、イマージョン教育が比較的に成果をあげやすいということも言えるように思える。少なくとも、朝鮮語習得の過渡期のかなり早い時期に、文尾の述語動詞部や、助詞の部分(つまり文の根幹の部分)を朝鮮語にし、足りない内容語の部分の語彙を日本語からかりてくるというコードスイッチングをすることで、朝鮮語の文章を産出できた気になれるという現象は幼稚園でもよく観察できた。また、昨今、朝鮮半島への往来は日本人、在日コリアンを問わず増えており、ネイティブスピーカーの朝鮮語(韓国語)話者との接触が、継承語維持にプラスに働いているとも考えられる。
 子どもたちが、朝鮮語イマージョンの中でどのようなスピードでどの程度の朝鮮語を育てているのかについては、前述の科学研究費補助金研究成果報告書「京都市の朝鮮学校における朝鮮語・日本語バイリンガル教育の方法と成果」に生徒の発話データとともに詳しく記載してあり、2004年にはそれを加筆修正の上明石書店から出版の予定なのでそちらを参照していただきたい。ここでは簡単に幼稚園期の3年間の習得状況をまとめておく。年少児は、日常のあいさつなどの非常に多数のルーティーンを通して頻度の高い決まり文句から覚えていき、年少期の後半から年中期にかけてみずからもぽつぽつと朝鮮語で話し出すようになる。年中期になると、それらルーティーンに出てくる朝鮮語を分析的に理解していることがうかがえる発話が出現し、日常的にも生徒間ですら第2言語を使うのが容易になる。年長期には、みかん狩りなどといった学校行事の一部始終を複数の絵に表現した上で、それを語りとしてモノローグで説明するといった長い談話を産出することができるクラスも出てくる。
 このように高い第2言語能力を育てた子どもにまじって小学校1年生から朝鮮学校へ入学する子はどのように朝鮮語を伸ばしていくのか、また、日常会話の能力が小学校中学年から高学年にかけてどのように学業用の言語能力に結びついていくのかについてまだ十分には把握していない。こういう点について詳細な言語データを提示した研究が、少なくとも一般に朝鮮学校関係者以外でも読めるような形で公表されているものの中には見あたらないからである。しかし、大学教育までイマージョンを継続し、2世3世教員を輩出して全国の朝鮮学校に供給している朝鮮学校の実践が、継承語教育機関として世界的にも貴重な成功例のひとつであることは間違いなく、バイリンガル教育の関係者・研究者にとって知識の宝庫であることは疑いがない。今後この実践がさらに様々な觐度から研究され、朝鮮語教育は言うまでもなく、その他の継承語、バイリンガル教育にとって貴重な知識が発掘、紹介されていくことを願いたい。


引用文献
Baker, C. (1996). Foundations of bilingual education and bilingualism, second edition. Clevedon, UK: Multilingual Matters.
学校法人京都朝鮮学園 (1997)『在日朝鮮人の民族教育を考える―朝鮮学校の処遇改善を
求めて』学校法人京都朝鮮学園
Hamers, J. F. and Blanc, M. H. A. (2000). Bilinguality and bilingualism, Second edition. Cambridge: Cambridge University Press.
朴三石(1997)『日本の中の朝鮮学校—21世紀にはばたく―』朝鮮青年社
李月順 (1999) 「在日朝鮮人の民族教育」朴鐘鳴編著『在日朝鮮人第2班—歴史・現状・展望』
明石書店135-174頁
Ryang, S. (1997). North Koreans in Japan: Language, Ideology, and identity. 
        Oxford: Westview   Press.
辛淑玉 (1998)『韓国・北朝鮮・在日コリアン社会がわかる本』ワニ文庫KKベストセラーズ
植田晃次 (2001)「『総聯朝鮮語』の埸礎的研究—そのイデオロギーと実際の重層性」
野呂香代子・山下仁編著『「正しさ」への問いー批判的社会言語学の試み』
三元社111-148頁
ウリハッキョをつづる会(編)(2001)『朝鮮学校ってどんなとこ?』社会評論社

[1] 2003年2月21日付けの朝日新聞(「国立大学入学資格朝鮮学校に認めず」)によれば、全国で各種学校になっている外国人学校のうち、英語で授業をしているいわゆるインターナショナルスクールは約20校、韓国学校や中華学校などが約10校。児童生徒数は全体で約21,000人で、このうち朝鮮学校に通う生徒は11,000人。2003年3月6日、日本にある外国人学校のうち英米にある民間の評価機関によって認証を受けている英語系の学校のみ国立大学の受験資格を認められた。(2003年3月7日朝日新聞(「インターナショナルスクール限定、大学入学資格を付与 文科省発表」)しかし、その後多くの関係者、国立大学教員などの反対にあい、この決定は凍結され再度検討されることになった(2003年3月28日付けの朝日新聞「外国人学校の大学入学資格『欧米系のみ』案凍結」)。

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