2003年08月の情報

2003年08月08日

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第1回 母語・継承語・バイリンガル教育研究会

2003年8月8日 於)桜美林大学

【発起人】中島和子、佐々木倫子、津田和男、湯川笑子(アルファベット順)
【目的】
1対象領域の研究活動の活性化
2対象領域の実践活動の質の向上
3対象領域の情報交換・リソース収集
4対象領域の発展のための広報活動

【対象領域】
バイリンガル教育を必要とする児童生徒の言語教育を対象とする。当面、具体的には以下の領域を含む。
(1)先住、定住、新来児童生徒の母語・継承語教育(湯川、中島)
(2)日本人・日系児童生徒の継承語としての日本語教育(津田、佐々木)
(3)聾児のためのバイリンガル教育(湯川、佐々木)
(4)海外・帰国子女、国際学校子女、その他各種イマージョン教育(津田、中島)

【組織と運営】
1. 当面(2004年夏まで)事務局を桜美林大学佐々木倫子研究室におく。
2. 事務局は会員登録に基づいて会員リストを作成。
3. 当面(2004年夏まで)会費徴集はしない。
4. 発起人が協同責任で会の運営に当たる。担当領域を明確にし、責任分担も可能。
 (必要があれば、発起人互選で会の代表者を選出する。)
5. 会員がグループまたは個人で(実費をとって)各種研究会を随時各地で開催する。
この場合前もって(担当領域の)発起人の承認を得ること。
6. 将来的には会員の中から世話人を互選し、発起人の役割は世話人に移行させる。
7. 研究誌、情報交換誌等の刊行を行う。当面は研究会発表原稿をウェブ上で会員に配布。

以上に基づき、2003年8月の立ち上げ会の後、発起人の互選で、中島和子代表を選出。

【会員】
1. 上記趣旨に賛同する対象領域の研究者(希望者を含む)を 会員として随時受け入れる。
2. 入会希望者は会員登録を行う。(1.氏名、2.所属、3.e-mail アドレス、4.特に興味のある領域または分野を記入、電子メールで事務局(msasaki AT obirin.ac.jp)と広報係(eyukawa AT notredame. ac. jp)に送付、ただし、ATは@と読みかえて、ATの前後のスペースは取り除いて下さい。)
3. 退会希望者はその旨を事務局と広報係に電子メールで速やかに通知する。

『母語・継承語・バイリンガル教育研究 プレ創刊号』(2003年8月)
母語・継承語・バイリンガル教育研究会

表紙
中島和子「もう一つの年少者日本語教育ー継承語教育の課題」
中島和子「JHLの枠組みと課題ーJSL/JFLとどう違うか」
佐々木倫子「3代で消えないJHLとは?—日系移民の日本語継承」
津田和男「中等教育とJHL:アカデミックランゲージとアイデンティティ」
湯川笑子「L1教育からイマージョンへー朝鮮学園の継承語保持努力の事例から」

母語・継承語・バイリンガル教育研究会の第1回議事録(2003年8月8日)は下記にあります。

「母語・継承語・バイリンガル教育研究会 第1回議事録」

「母語・継承語・バイリンガル教育研究会」を立ち上げる会・議事録

日 時:2003年8月8日(金)6:30~8:30 p.m.
場 所:桜美林大学大学院新宿キャンパス
出席者:42名

【議事】 
第一部 6:30~6:55

I-1. 設立の趣旨、会の名称、会の目的、対象領域について(中島)

1. 設立趣旨
2003年5月25日の日本語教育学会春季大会でのパネルセッション「もう一つの年少者日本語教育─継承語教育の課題─」のパネリストの4名(中島和子・佐々木倫子・津田和男・湯川笑子)が発起人となって立ち上げた会で、バイリンガル・トライリンガル教育の視点から、継承語教育・母語教育の研究に学際的に取り組む。先行研究や文献が不足している分野であり、研究及び実践の両面において当分野の発展に貢献したい。

2. 名称
参加者の賛同を得て、会の名称を「母語・継承語・バイリンガル教育研究会」、略称「MHB
(Mother-tongue, Heritage language, Bilingual Education)研究会」とする。

3. 目的
次の4つの目的がある。
1) 対象領域の研究活動の活性化
2) 対象領域の実践活動の質の向上
3) 対象領域の情報交換・リソース収集
4) 対象領域の発展のための広報活動─関連組織との連携作り。

4. 対象領域
バイリンガル教育(多言語教育を含む)を必要とする年少者、特にマイノリティー言語を母語とする児童生徒の言語教育の研究を対象とする。当面具体的には以下の4つの領域を含み、各領域を担当する発起人を( )内に示した。
1) 先住、定住、新来児童生徒の母語・継承語教育(湯川、中島)
2) 日本人・日系児童生徒の継承語としての日本語教育 (津田、佐々木)
3) 聾児のためのバイリンガル教育─母語を手話とする人たちのため日本語のリテラシ
  ー教育(湯川、佐々木)
4) 海外・帰国子女、国際学校子女、その他各種イマージョン教育(中島、津田)

I-2. 組織と運営について(佐々木)

5. 組織と運営
1) 当面(2004年夏まで)事務局を桜美林大学佐々木倫子研究室におく。
2) 事務局は会員登録に基づいて会員リストを作成。
3) 当面(2004年夏まで)会費徴集はしない。
4) 発起人が協同責任で会の運営に当たる。担当領域を明確にし、責任分担も可能。
 (必要があれば、発起人互選で会の代表者を選出する。)
5) 会員がグループまたは個人で(実費をとって)各種研究会を随時各地で開催する。
  この場合前もって領域担当者の承認を得ること。
6) 将来的には会員の中から世話人を互選し、発起人の役割は世話人に移行させる。
7)研究誌、情報交換誌の刊行を行う。当面は研究会発表原稿をウエッブ上で会員に
  配布する。8月9日配布の『プレ創刊号』(2003年5月の日本語教育学会でのパ
  ネルセッション時の発起人4名の論文を収録)をウエッブ上に載せる。会員の発表
は査読を経た上でウエッブ上のE-ジャーナルに掲載。著作権は著者個人に帰する。

第二部 6:55~7:55

II-1 4つの領域からの問題提起が担当の発起人よりなされた。

1. 領域 (1) 先住、定住、新来児童生徒の母語・継承語教育

在日コリアンのバイリンガル教育を例にとって先住マイノリティ・定住外国人のバイリンガル教育に関する必要な研究を紹介。50年の蓄積された教授法のノウハウも教師教育に役立つのではないかと指摘。

以下は、進めるべき研究項目を提案する: 
 ○イマージョンとして育てうるL2朝鮮語と母語である日本語の言語能力を小学校、中学校、高校卒業時点で描写する研究、
 ○バイリンガルたちの言語生活、言語使い分けの様子、コード切り替えのルール、個人差やグループ間のゆらぎ(variability)の幅を明らかにするための研究、
 ○朝鮮学校が戦後半世紀にわたって蓄積してきたイマージョン教育の教授法(pedagogy)の記述、
 ○これまでのイマージョン教育成果の一般的傾向との比較対照、
 ○言語の組み合わせの差や、日本の社会的な要因等がフランス語イマージョンとのどんな違いを生んでいるか、日本でのイマージョンとの比較対照、日本の社会的な要因等の影響、
 ○新しい世代にイマージョン教育を継承していくために必要な教師教育の中身を知るための研究、
 ○朝鮮学校でのトータルイマージョン、民団系の学校で教科として学ぶ、そして公立学校の民族学級という風に言語教育として重点の置き方がちがう継承語教育のタイプがそれぞれどの程度の言語教育力を発揮できているのか、その差を明確にする研究、など。(湯川)

新来児童生徒の母語教育は家庭をベースにしており、親を説得するためのデータが必要である。母語をふまえた上での日本語教育に関してはデータが不十分。しっかりした調査が協力してなされるべき。(中島)

2. 領域 (2) 日本人・日系児童生徒の継承語としての日本語教育

集団移住の結果生まれた日系社会で人びとがどのような言語シフトを経ていったかを追うことは、現在日本にいる外国人児童生徒の言語の問題にも示唆を与える。また、日系社会の日本語環境の実態把握と、環境を生かした教育的介入が継承語教育には重要である。現在、調査方法のしっかりした言語調査が進行中であるが、さらに調査箇所を広げる必要があり、調査に関心を持つ人が出てくることが望ましい。教育的介入を考えたとき、学習リソース情報の収集と流通も重要で、関心のある人間が連携を持ちつつ個人を超えた規模で推進していくことが望ましい。(佐々木)

ニューヨークの国連国際学校で継承語、JFLとして日本語教育実践を行なう中で考えてきたことだが、発達や理解という「教育としての日本語教育」の問題を中心にして考えていかなくてはいけないと感じている。実践者として子供自身に焦点をおいて、アイデンティティ、動機付け、参加型グループワークなど様々な問題を明らかにしていきたい。また、グローバリズムの中で個人型移住が起きているが、ここで生じる継承語の問題、教師のトレーニングの問題なども明らかにしたい。(津田)

3. 領域 (3) 聾児のためのバイリンガル教育

手話を使う耳が聞こえない子供への読み書きの日本語教育をバイリンガル教育と捉えて、聾児を対象とする言語教育を考えたい。手話、小学校教育、日本語教育、イリンガル教育の4つの分野の学際的、実践的研究が望ましい。

具体的に研究、活動の案として次のものが提案された:
 ○ 日本手話を母語としてもっているがために、それらしい書記日本語の中間言語エラーを示す子どもの言語発達の過程を知り、手当(intervention)の方法を知るための研究、○日本語対応手話などの手話、もしくは読話による音声日本語を母語(に似たもの)として持っているがために、インプットの不十分な言語にみられがちな中間言語エラーを示す子どもの言語発達の過程を知り、手当(intervention)の方法を知るための研究、
 ○手話と書記日本語という組み合わせでバイリンガルが育っていく場合の言語成長プロセスの青写真、成長プロセスを明らかにする研究、
 ○外国語として年少者に日本語教育をする中で蓄積されてきた日本語教育教授法や教材、日本語習得プロセスの知見をろう教育関係者にわかりやすく、入手しやすい形でリソースとしてまとめ、講習会をし、公開サービスをする活動、
 ○手話と書記日本語、特に、義務教育で取り扱うような日本語との比較対照辞典やそれを提示してくれるようなコンピュータプログラムの作成、もしくは、そのための言語コンサルタントのような活動、手話を知っている人、聾児にバイリンガル教育をしようとしている現場の先生と日本語教育、バイリンガル教育を知っている人を一カ所に集めてチームとして教育ソフト(やデジタル媒体以外の教材も)を作るような研究と活動、など。
聾児に対する日本語教育は、母語の抑圧・放置という点から、外国人児童・生徒への日本語教育と重なる点も多い。現在、学会などでの研究発表を小グループで企画中であるが、広く社会の理解を喚起するだけでなく、教育実践の充実を促進する方向の研究も必要である。(佐々木・湯川)

4. 領域 (4) 海外・帰国子女、国際学校子女、その他各種イマージョン教育

海外子女教育に関しては、当議事録II-2(2)を参照のこと。(津田)

様々なイマージョン教育の研究者が一堂に会する場がなかったので、共に話し合う場を作りたい、また教師研修が望まれる。(中島)

II-2 以上の4つの問題提起に加えて、関連組織からの問題提起が行なわれた。

(1) 米国ATJ継承語特別研究会(ダグラス昌子)

従来のアメリカでのバイリンガル教育は将来的に英語を第一言語とするための過渡的教育であったが、1999年に継承語は国の言語資産であるとの観点で母語保持に目が向けられるようになった。また最近大学での語学教育での目標が高く設定されるようになり、継承語として既にある言語能力を持っている人材に対する教育が注目されている。日本語に関しては1999年にATJ(米国日本語教師会)で継承語教育に関するパネルセッションが中島先生を中心にして持たれ、同年、井川氏により継承日本語教育会議が開かれた。その後研究グループが作られ、学会発表や、Web上での発表要旨掲載、メールリスト設立など活動を行なっている。

(2) 最近の米国を中心とする、継承日本語教育に関する情報と日本の国際教育の情報の紹介(津田)

日本での日本語教育、英語教育、国際教育の分野を重ね合わせたレックス・プログラム(REX Program)のNPOの立ち上げ。日本の地方都市と海外の都市が日本語教育を通して結びついたレックス・プロジェクトで日本の英語教員が海外で教育実践と研修を受けているが、数(20名程度)が限られている。日本での英語教育、国際教育の力になるものとして、プロジェクトの推進が望まれる。ニューヨークを中心とした新しい継承語教育が課題になっていて2003年の夏に第3回米国NECTJ(北東部日本語教師会)日本語継承語教育大会が開かれる。最後に4つの研究領域を目的(挑戦)、意味、方法、問題の視点から提示した。
挑戦:内容重視の教育や生徒中心のグループワークや徒弟制度などと学習の方法開発,ネットワークの現代化と継承語教育(挑戦),時代に応える研究会に関わる意味

意味:対象領域の問題としても大変議論の価値がある.なぜ今継承語教育なのか。

方法:研究者からの立場でのこの分野と学的な課題と学際的な課題
   実践者からの学問的な問題(方法)思想と表現思想の乖離が問題にする課題

問題:
 理念からカリキュラムへのプログラム(国内教育とインターナショナルな背景を持つ継承語教育との関係),
 教員集団の研修課題や教室が持つ環境整備
 学習者のアイデンティティや動機問題など学習者の心理
 親子や継承語社会の様々な課題
 スペシャルニードとしての継承語
 年少者の言語環境の変化;海外、帰国子女、国際学級、イマ-ジョン、日系人。


第三部 8:00~8:25

次いで、今後の活動計画について領域別話し合いを二つのグループに分かれて行なった。

1) 在日の外国人児童生徒への言語教育 (中島)
2) その他(湯川、佐々木、津田)

各グループで参加者各自の興味・関心や問題意識、この会への期待などについて話し合った。1)のグループでは第2回の研究会のテーマを「語彙テスト、語彙調査について」にすることにした。

全体のまとめ 8:25~8:30

※今後はメールで連絡を取り合うことになった。

(記録:事務局 今井美登里)

中島和子「もう一つの年少者日本語教育ー継承語教育の課題」

「もう一つの年少者日本語教育−継承語教育の課題」
中島和子(名古屋外国語大学)
佐々木倫子(桜美林大学)
津田和男 (国連国際学校、New York)
向野也代( ポートランド州立大学)
湯川笑子(ノートルダム女子大学)

 継承語としての日本語教育(Japanese as a Heritage Language, JHL)は、日本語がマイノリティー言語である環境で育つ日本人、日系人子女の日本語の習得・後退・喪失にまつわる社会的、心理的、社会心理的、教育的、言語的問題を扱う分野である。学習者個人の言語習得・言語保持の問題であると同時に、海外の日系社会の日本語・日本文化存続の問題でもある。もともと継承語教育は、米加、南米諸国への移民に伴って始まった特殊教育である。海外移民が始まってすでに100年近くになるので、継承語としての日本語教育は、日本語教育の中でも最も長い歴史を持つ分野の一つであると言える。にもかかわらず、国内では、とかく忘れられがちな領域であることから、「もう一つの年少者日本語教育」というタイトルをあえて選んだ。また従来JHLの対象としては年少者が中心に考えられてきたが、実は中高生、大学生にも関わる問題であるという認識から、当パネルでは幼児(パネル4)、中高生(パネル2)、大学生(パネル3)対象の課題も取り上げた。

 継承語教育は最近国内外で新たな注目を浴びている。もともとスウェーデン(Hiltenstam & Arnberg, 1988)、オーストラリア(Scarino, et al., 1988)、カナダ(Cummins & Danesi, 1990; Cummins, 1991c; Denesi, 1993)を中心に生まれてきたものであるが、最近米国でも、有用な「言語資源」という観点から、大学生、中・高生対象の継承語教育(heritage language education)が盛んになっている(Brecht & Ingold, 1998; Krashen, et al., 1998; Wiley & Valdes, 2001)。一方国内では、公立小中学校に在籍する外国人児童生徒の知的発達、情緒安定、人格形成の上で、母語の保持・伸長の重要性が認識され、母語育成教育のノウハウが必要とされている。
 3代以上世代を越えて継承できたのはユダヤ人とロマ(俗名ジプシー)だけと言われるほど、飛び火した少数言語と文化の子孫への伝承は難しい。これまで母語の70%は3代で消えると言われてきたが、ボーダーレス時代を迎えて、人の移動が激しくなるにつれ、最近は母語が2代で消えると言われる。自然放置すれば消えてしまう継承語を人為的に育て、時代の要請するバイリンガルの人材づくりが可能かどうかはまさに継承語教育にかかっており、この意味で継承語教育は21世紀の大きな課題である。

 このような時代の要請に鑑み、当パネルでは、継承語教育一般の課題に焦点を当て、日本語にこだわらずに朝鮮語を継承語とするケースも含めた。パネル1(佐々木)は南米日系社会をケースとして日本語継承の実態を分析、2、3代で消えない継承語教育のあり方の模索、パネル2(津田)はインターナショナル・バカロレアの継承語プログラムを実践者の立場から分析、アイデンティティとアカデミック・ランゲージの両面から中・高生対象の継承語教育のモデル化を試みる。パネル3では、米国オレゴン州大学生の継承日本語学習者を対象に、「ことば」に対する意識を調査・分析、継承語学習者の言語意識の特徴を明らかにする。パネル4(湯川)では、在日コリアン3〜5世のイマージョン方式による朝鮮語教育を取り上げる。民族教育の一環として行われてきた日本最大規模の継承語教育実践は、海外の日系社会の活性化や国内の外国人児童・生徒の言語教育の在り方を考える上で、貴重なデータと示唆を与えてくれるものである。

<詳細は以下を参照されたい>
問題提起:「JHLの枠組みと課題-JSL/JFLとどう違うか」
     中島 和子(名古屋外国語大学)
パネル1:「3代で消えないJHLとは?――日系移民の日本語継承」
     佐々木 倫子 (桜美林大学)
パネル2:「中等教育とJHL:アカデミック・ランゲージとアイデンティティ」
     津田和男(国連国際学校、 New York)
パネル3:
     向野也代( ポートランド州立大学)
パネル4:「L1教育からイマージョンへ―朝鮮学園の継承語保持努力の事例から」
     湯川笑子(京都ノートルダム女子大学)

中島和子「JHLの枠組みと課題ーJSL/JFLとどう違うか」

問題提起「JHLの枠組みと課題-JSL/JFLとどう違うか」

中島 和子(名古屋外国語大学)
2003 NAKAJIMA

母語・継承語・バイリンガル教育研究会

問題提起「JHLの枠組みと課題-JSL/JFLとどう違うか」

中島 和子
(名古屋外国語大学)

1. 母語と継承語[i]
 まず母語とは何かという問題であるが、ここでは「初めて覚えたことばで、今でも使えることば」として論を進めたい[ii]。言語形成期の途中で国を越えての移動を余儀なくされた子どもの母語は何だろうか。確かに初めて覚えたことばは親の母語であるが、学齢期になって現地の学校に通い始めると、現地のことばの方が「強いことば」、母語が「弱いことば」になっていく。この過程で母語を自ら捨て、親が母語で話しかけても頑として現地語でしか反応しなくなる子どももいる。つまり、生活言語が母語から現地語へ置換(シフト)するのである。このようになった子どもの親のことばとは一体何なのだろうか。子どもの母語と呼ぶにはあまりにも弱いし、かと言って親のことばであるから外国語になってしまうわけではない。また同時に、現地語がネーティブのように流暢に話せるようになったからといって現地語を母語と呼ぶにはあまりにも根が浅い。このように、異言語環境で言語形成期の一部を過ごす子どものことばは母語と外国語に分けることは難しく、むしろ「継承語」と「現地語」という概念でくくる方がぴったりする。つまり、「継承語」とは親から受け継いだことば、「現地語」は子どもの育つ環境で毎日使うことばである。もちろん継承語も現地語も一つとは限らない。国際結婚の家庭などでは、父親の母語と母親の母語、つまり二つの継承語を持つことになるし、多言語環境であれば複数の現地語を使って生活することになる。

2. 継承語の特徴三つ
 継承語が外国語と異なる点を三つ指摘すると、次のようである(Isajiw,1984)。
(1) 母語を継承することに対する価値付けが文化集団によって異なること。例えば、フランス系カナダ人にとって、フランス語を失うということは自らの文化を失うに等しく、言語の伝承に対するこだわりは非常に強い。一方ユダヤ系カナダ人となると、言語に関してはかなり寛容、同族結婚や自らの宗教に対しては異常なまでの執着を示すというように、文化保持において言語の占める位置づけが異なる。日本人の場合はどうだろうか。どちらかと言うと「長いものに巻かれろ」という状況順応型に属するように思われる。
(2) 継承語育成に成功するかどうかは、言語集団間の力関係によるところが大きい。国際語として猛威を奮う米国で日本語のような少数言語を保持伸長させることは難しいが、日本語の有用性が認められている地域では、日本語を保持すると同時に現地語も習得することはそんなに難しいことではない。国内の外国籍の子どもの場合でも、英語を母語とする子どもは、英語力に対する一般日本人の価値付けが高いため保持がより楽であるが、日本人が有用性を認めない少数言語となると日本語への置換が早くなる。
(3) 世代を経るにつれて2言語の意味論的棲み分けが起こる。1世は現地語が不得手なため継承語ですべての意味の構築をするのが普通、2世になると、継承語と現地語の二つを使い分ける。家庭内コミュニケーションは継承語、家庭外は現地語というバイリンガル型になる。3世になると、現地語が生活のあらゆる面で中心的役割をするようになる。つまり、継承語が生活上の機能を失い、少数言語集団のシンボル的役割になる。日本語の場合は、例えば、正月、お香典、お盆などの文化的語彙が伝統的行事とともに保持される。
3. 継承語教育の課題
 上のような特徴から、外国語としての日本語教育 (Japanese as a foreign language, JFL) や第2言語としての日本語教育(Japanese as a second language, JSL)[iii]と比較して、継承語としての日本語教育の課題を6つ指摘したい。

3.1. マイナスの価値付け
言語集団間の力関係で、継承語は常に弱者に立たされるため、主要言語との社会的格差が大きければ大きいほど、学習者が継承語に対してマイナスの価値付けをする。子どもは周囲の人々が継承語に対してどのような価値観を持っているかということに敏感である(Wong Fillmore, 1991)。したがって、継承語に対する一般社会の評価が低い場合は、その評価を内面化し、自らも継承語に対してマイナスの価値付けをするようになり、すでに習得したことばを自ら捨てていくという結果になりかねない。継承語教育の課題の一つは、学習者にいかに学習の価値を見出せるようにするか、ということである。

3.2. 親のチョイス
学校教育の中での外国語学習は学習者のチョイスであることが多いが、継承語の場合は、親のチョイスで始まる。親が子どもにどうしても習わせたいことばなのである。子どもにとっては押し付けられた学習であることが多いため、実際の授業では、学習意欲を持っていない子どもにどう前向きの姿勢で取り組ませるかが課題になり、教える側に技能や工夫が必要となる。また親との深い関わりがあることばであるということから、親の熱意が不可欠である。しかし、親が母語話者であるということは、低学年の子どもにはプラス要因であるが、高学年の子どもには、心理的にプレッシャーになり、継承語離れを促進する要因にもなりかねない。

3.3. 課外学習
継承語プログラムは、移住者団体、企業団体、宗教団体などが運営母体になることが多く、少数言語コミュニティーとの関わりの中での学習となる。また学習の場もコミュニティーセンター、教会、移住者協会などで、課外で教員免許を持たない教師が教えるのが普通である。課外であっても、子どもに継続的に学習するように仕向けるにはいろいろの工夫が必要である。例えば、カナダのブリティッシュコロンビア州では、子どものときから課外で継承日本語を継続して学習してきた高校生に、州政府の日本語標準テストを受ける機会を提供し、パスすれば高校の外国語の単位がもられるという制度を導入している。

3.4. アンバランスな語学力
外国語教育では4技能がバランスよく伸びるように工夫をするが、家庭使用をベースとした継承語は、アンバランスである。聞く力が最も発達するが、聞く力に対して話す力が極度に低い。が、それよりさらに弱いのが読み書きである。つまり、対話面の力は家庭使用でなんとか発達しても、認知力を必要とする言語面(高度な内容の会話力や読み書きの力)の発達が遅れるのである(中島1988ab)。継承語補強のプログラムがない自然放置の場合は、小学校低学年で移動した子どもの読み書きはすぐに後退する(中島・ヌネス2001ac)。したがって継承語教育の課題は、語学力のアンバランスをどうバランスの取れたものにしていくかということである。

3.5. 認知面は4年遅れ
継承学習者の認知面の力は、年齢相応の母語話者に比べて4年遅れと言われる。例えば、カナダ・トロントの日系高校生の調査(31名)では、週末一回2時間半、10年間通った場合、大半が対話面の会話力は非常に流暢、日本語で30分の面接に十分耐える力があったが、読解力と作文テストの結果は、大体小学校4年レベルであった(中島1988ab)。また同じトロント市のポルトガル系カナダ人の調査(中学1年生191名)でも、会話力と読む力(文法力を含む)に大きなギャップがあり、ボルトガルのアゾレアの母語話者(小学校6年生69名)と比べて認知面の力が大体4年遅れであったという(Cummins, 1991b)。また最近同じくトロントで日系小・中学生を対象に調査した漢字力テストでも、使用漢字が大体2年生どまり、読み漢字は4年どまりであった(中島2002)。

3.6. 世代その他によって異なる教育内容
継承語教育と言ってもその教育的内容や方法は、子どもの置かれている状況によって異なる。すでに読み書きができるようになって学齢期の途中で移動した場合は、母語保持教育が可能であるが、まだ読めない子どもの場合は継承語リテラシーの育成、現地生まれの2世児になると会話力の育成が必要になる。3世、4世以降には、JFLと同じように学校教育の中での学習が必要である。世代ばかりでなく、先住か、定住か、新来かによっても教育内容が異なる。在日韓国・朝鮮人の4世、5世のような定住グループの場合は、継承文化存続のため唯一有効だと考えられるのがパネル4(湯川)で取り上げた、学校教育機関の中に組み込まれたイマージョン教育である。

4. 継承語教育の教育的意義
 継承語教育は、対象言語が親のことばであるがゆえに、外国語のように距離をおいた見方ができない。楽しかったこと、悲しかったこと、様々な思いが裏づけされたことばである。また親のことばであるから、子どもができるのは当たり前、忘れると親も子も傷付くという性質を持っている。そのため継承語が生活上の機能を失っても、継承語を伝承すべきであるという責任感だけは何世代も続くと言われる。そしてそれを怠ると、一生悔いが残るという(Kouritzin, 1999)。特に親が現地語に堪能ではない場合は、親子のコミュニケーションとして必要不可欠なことばである。つまり、子どもの情緒安定、アイデンティティの形成(Oketani,1997)に深く関わる言語教育であるから、その教育的意義は非常に大きいのである(Cummins, 1983; Cummins, 1984; Hammers & Blanc, 1989; Cummins & Denasi, 1990; Landry and Allard, 1991; Denesi et al., 1993)。
 もう一つ大事な点は、継承語を強めることが高度の現地語獲得の土台となるということである。特に、学齢期の途中で現地語に接触を始めた場合は、継承語の力が現地語習得の上で重要な役割を果たす。接ぎ木のメタファーがよく使われるが、母になる木がしっかりしていれば、接ぎ木もすくすく伸びるが、母木が弱い場合は両方伸び悩む。これはカミンズの相互依存の原則(Linguistic Interdependence Principle)と呼ばれ、いろいろなことばの組み合わせや習得環境で実証されている(Cummins, 1991a; カミンズ・中島1985)。具体的には、4—8歳ぐらいまでに継承語をしっかり育てておけば、現地語も育つし継承語も継続して伸ばせる可能性があるが、4—8歳ぐらいに継承語を失ってしまうと、母語も伸びないし現地語も伸び悩む。この意味で幼児・小学校低学年での継承語教育は、特にその教育的意義が大きい。

5. 継承語教育実践上の問題
 つぎに教師、学習者、教育形態、教授法、評価の諸点から、継承語教育がJFL、JSLとどう異なるかについて検討したい。

5.1. 教師の問題
JFLは、教員免許を持った教師が学校教育の中で教える教科の一つであるのに対して、JHLは、前述のように学校教育の枠外の課外授業であり、教育専門家不在の現場と言える[iv]。JHL教師はおうおうにして、留学生、父母兄妹、コミュニティーの年長者、一時滞在の母語話者などであり、一貫した教育理念やカリキュラム、教授法などの共有は難しい。また社会的にも認識も低く、報酬も少ないため長続きしないし、職業意識も芽生えない。
JHLでは、語学力があるという意味で1世教師が適任者であると思われがちであるが、実際は現地校で育つ子どもたちと心情的にも、行動パターンにおいても、また価値観においてもずれがあり、そのため実際の授業がうまく行かない場合が多い(佐々木1999; 佐々木2001)。

5.2.学習者の問題
継承学習者の問題の一つは、学習に対する動機づけが極度に低いことである(Kondo,1997; Kondo, 1999)。継承語は余計なもの、押し付けられたものという意識を持つ。ブラジルでの調査(被験者16,334名)でも、3世の76.2% は親に言われて(仕方なく)日本語学習をしているという(深沢1995)。また1999年に行われた米国ロスアンジェルスの日系人大会でも、ある3世が「わたしたちは現地校では優秀な生徒で教師にangel(天使)のようだと言われたが、週末の日本語学校では、rebel(反逆児)であった。それは教師が悪かったわけでもないし、教材が悪かったわけでもない。週末にそこに座っていなければならないことに対する反抗であった」と発言したのが記憶に新しい(中島2001: 5)。しかし、これは日系子女に限ったことではなく、同大会のブレット氏の講演の中でも、継承語学習者の特徴として’Students rebel!’(学習者の反抗)が挙げられていた(Brecht & Ingold, 1998; Tse, 1997)。
受け身の学習態度も中学の終わりから高校にかけて、学習仲間に恵まれると積極的な取り組みに変化するようである。私自身がトロント行った前掲の調査(被験者31名)でも、10年間の日本語学校通学の経験を振り返って「日本語学校が好き」と答えたのが60%、その理由としては「友だちがいたから」というのが圧倒的に多かった。また「将来結婚して子どもができたら、日本語学校に行かせますか」という質問に対して90%までが「行かせる」という答えたことからも、日系人としての自覚、日本語継承の大切さを理解しているようであった(中島1988)。
 継承語学習に対する態度が消極的であることの裏には、継承語に対する自信のなさがある。家庭での受け身的な使用が慣用化され、分からなくとも聞き流す習慣がついているために発話が困難、また家庭言語が親の出身地の方言であることが多いため、自分が話す継承語が親しい家族間では通用しても世間一般では通用しないかという危惧が加わる。このため、日本語ばかりでなく他言語(例えばスペイン語など)の継承語教育でも丁寧度による使い分けの教育が必要とされている(Valdes, 1995 ; Douglas, 2000a)[v]。

5.3. 教育形態
 フィッシュマン (1976) は継承語教育の形態と到達目標をつぎの四つに分類している。
(1)「過渡的バイリンガリズム」(transitional bilingualism)
(2)「読み書き1言語のバイリンガリズム」(monoliterate bilingualism)
(3)「部分的バイリンガリズム」(partial bilingualism)
(4)「全面的バイリンガリズム」(full bilingualism)
 例えば、米国で「過渡的バイリンガル教育(transitional bilingual education)」と呼ばれる、現地語ができるようになるまで教科学習で母語を使用するが、継承語を活用するだけで、継承語そのものを伸ばそうとするものではないというのが(1)の例である。(2)の例は、家庭で継承語を使用するが、読み書きについては自然放置で特別の手立てをしないため、会話はなんとか両方でこなせるが、読み書きは現地語でしかできないというものである。(3)はカナダの継承語プログラムのように、週末の日本語学校で「国語」の教科書を使って勉強するので、ある程度読み書きができるが、他教科の学習はしないため学習言語としての日本語が十分育たないというケースである。(4) はすべての領域で2言語の高度発達を目指す教育であり、イマージョン方式のバイリンガル教育(中島2001b)[vi]や、最近米国で行われている2言語育成を目指した「双方向のバイリンガル教育 (two-way/dual bilingual education)」(Genesee, 1991)、また今回のパネル4などがその例である。
 週末あるいは放課後の課外の継承語教育となると目標を定めるのが難しい。親の態度が現地語重視と継承語重視の間でゆれるのである。現在32カ国語の継承語プログラムが土曜日午前中に一斉に開講されるカナダのオンタリオ州でも、週2時間半、年間80時間の継承語プログラムは主に会話力や文化的アクティビティー(工作、踊り、歌など)が中心で、読み書きまで期待する言語グループは日本語とエストニア語ぐらいだという。オンタリオ州トロント教育局の保護者、教師、校長対象を対象とした調査でも、88パーセント(664中549)までが目標として、つぎの4点をあげており、言語教育が中心とはなっていない (Larter & Cheng, 1986) 。
(1)両親、親戚とのコミュニケーションをすみやかにするため
(2)自らのヘリテッジに誇りを持つため
(3)ヘリテッジ文化・宗教を保持、活性化するため
(4)ことばは子どものときに学ぶ方が効果的である
 歴史的に見て、最も一般的なJHLの教育形態は、上の(3)を目標とする「日本語学校」であったが、最近は、日系人の多く在住する米国のカルフォルニア州などの大学で、大学生を対象とした継承日本語クラスが特設されている[vii]。

5.4.教授法
 佐々木(2001)は、JHLを「ないないづくし」の教育と言ったが、実際にカリキュラムなし、教科書なし、教材なし、教師研修なしという状況があり、教授法にまで議論が及ばないのが普通である。
 同じ年齢、同じ母語、同じレベルでクラス編成がされる一般の外国語教育と異なり、継承語教育では学習者の年齢差に加えて家庭での使用度が異なるため、語学力もまちまち、しかも言語背景が異なる子どもを一つのクラスで一人の教員が教えなければならない状況がほとんどである。この課題は少数言語の教育一般に共通するものであり、国内の外国人児童生徒を対象としたJSLも決して例外ではない。
 カナダでは、移住者子女が学齢期の子どもの60%以上(例えば、トロント市)をしめるところがあり、こういう課題に対して教授法の面でいろいろな取り組みがなされてきた。例えば、多様性に対処したmulti-level, multi-age, multi-background teachingと呼ばれる教授法(Ullmann, 1994; 鈴木・仲尾, 1998)、マルチレベルに対処した教材(Mollica, 1992)、親との連携を視座に入れた読書プログラム(Tizzard, 1982)、Interactive Homework(Antoniuk, et al., 1998; Epstein, 1993)、Story Telling(Chumak-Horbatsch, 1993)などがその例である。
 米国でも継承語教育の領域として、挙げられているものは(Valdes, 1995)、(1) 現地語の読み書きの力を活用した認知面の4年遅れの挽回、(2) 社会的に適切な言語(prestige variety)の獲得、(3)継承語使用領域の拡大、(4)帰属意識を整理する教育である。今回のパネル2(津田)は上の4点を意識した実践報告である(津田2001)。

5.5. 評価
親の不得意な外国語であれば、ちょっとした子どもの努力でもほめてもらえるし、プラスに評価されるが、親の母語となると減点法で見られがちである。ブラジルのある青年は、10歳のときに家で日本語を使うのを止めたと言った。それは母親が自分の日本語の間違いを真似したからだという。ちょっとした親の言動で非常に傷付くのである。またある調査で一人の子どもが、家で「日本語を話さないと怒られる、話すとまた怒られる」と窮状を訴えた。母語話者の目から見れば、未熟さが目立つ継承語であっても親が子どもの努力を前向きに評価することが肝要である。
 継承語の力を客観的に評価することは非常に難しい。母語話者のために作られたテストも妥当性を欠くし、外国語教育用のテストも継承語学習者には適切ではない。2言語を総和と見ようとするBilingual Verbal Ability Test (Munoz-Sandoral et al., 1998)、カナダ日本語教育振興会が開発した会話力テストOBC(カナダ日本語教育振興会2002)や、ミスキュー分析を使った読み能力の分析(Douglas, 2002b)、漢字自由連想テスト(中島2002)などはその試みの一端である。継承語の特徴を踏まえたテストの開発が望まれるところである。

おわりに
 以上、JFL、JSLと比較しながら継承語の特徴、継承語教育の意義、課題、実践上の諸問題について概略を述べた。継承語教育は子どもの心の問題、人格形成、知的発達と直結しており、教育的に非常に大事な分野である。子どもが身につけた言語と文化は、その子のパーソナリティーの大事な一部であり、教育現場では、まずそれを容認、その上に新しい言語、知識、文化を築いていくことこそ教育者の任務と言えよう。

[i] 継承語はheritage languageの日本語訳である。最近北米ではheritage languageという用語が定着してきたが、オーストラリア、イギリス、ニュージーランドでは’community languages,’ ほかの国では’mother-tongue teaching’などと呼ばれる。その他 ’ethnic,’’minority,’ ’ancestral,’ ’parental,’’home,’’primary,’ ’native,’’vernacular,’’indigenous,’なども使われる。
[ii] この定義は、多言語の国、カナダの国勢調査の質問の一つ’What is the language that you have learned first and that you still understand?’を土台として考えたものである。
[iii] ここでは、対象言語が話される環境でその言語を学習することをJSL、対象言語が話されていない環境で学校教育の中で教科として学ぶ外国語をJFLと呼んだ。
[iv]もともと継承語教育は異言語環境で子育てを余儀なくされた親のやる方ない希求に端を発した実践教育である。経験や知識の蓄積があって始まった教育ではなく、子どもを文盲に終わらせないために手探りでやれるところから始めた体当たりの教育である。サンパウロ大学の鈴木妙教授は「重労働である畑仕事の合間をぬって、子どもたちを文盲で終わらせないため、家庭内・集団内で使われていた日本語の読み書きを親が子に、村の年長者が若者に教えたのが(継承)日本語教育と称されるものなら、ブラジルにおけるそれは今から約80年まえに始まったと言えよう」(1991: 123-4)と言っている。
[v] これまでの調査研究の結果をまとめると、継承学習者の語学力の主な特徴はつぎのようである。
(1)聞く力が高度。
(2) 会話は流暢であるが、説明したり、描写したりという高度な会話力となると、語彙不足が目                              立ち、まとまりがない。
(3) 幼稚語が小学校1、2年ぐらいまで残る傾向がある。
(4) 読み書きの力が弱い。読みは小学校4年生どまり。
(5) 漢字力は2年生どまり。
(6) 敬語意識・敬語表現が弱い。
(7) 作文が口語的で、「だ体」「です・ます体」の混用がある。
(8) 言語間の明らかな干渉が低学年ほど顕著に現れる(例:「アイスクリームが寒い(冷たい)」                              「今、来るよ(行くよ)」「おばあちゃんがあげた(くれた)」。
[vi] (4) の「全面的バイリンガリズム」の目指した継承語教育の試みは、例えばカナダの中西部の3州では1970年代からなされている。エドモントン市のデルウッド公立小学校では、すでに英語にシフトし、家では英語を話している3世、4世の子どもたちを対象に毎日50%ずつウクライナ語と英語を使用して学習して成果をあげているという。幼稚部から午前は英語、午後はウクライナ語で教科学習をし、ウクライナ語と英語がしっかりした四年生ぐらいからフランス語が加わる。このような継承語を学習言語とした教育がドイツ語、中国語、アラビア語、ヘブル語でもあり、1986年には3州合わせて、7,230人の生徒が登録していたという。(Quadori 1988)
[vii] 例えば、カルフォルニア大学ロスアンジェルス校、サンディエゴ校などで継承語学習者のための日本語コースが特設されているそうである。




参考文献

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佐々木倫子「3代で消えないJHLとは?—日系移民の日本語継承」

「3代で消えないJHLとは?――日系移民の日本語継承」

佐々木 倫子(桜美林大学)
Ⓒ2003 SASAKI

母語・継承語・バイリンガル教育研究会

パネル1:「3代で消えないJHLとは?――日系移民の日本語継承」
佐々木 倫子 (桜美林大学)

はじめに

 本発表は、以下の3点について行った。
(1)3代を待たずに消えるとされる移民の言語継承の実態を日系集団にかいま見た上で、(2)南米での日本語継承を妨げる要因を中心に整理し、(3)3代で消えない言語継承が起こり得る状況に何が必要とされるかを考える。18人の現役日系日本語教師への半構造化インタビューから得たデータの一部をもとに、先行研究とあわせて考察したい。

1.日系社会における日本語継承の現状

かつての日本から海外への移民の流れは、次の世代の日本語継承問題を引き起こした。移民の言語シフトはどの言語集団にも起こることであり、早ければ二世代でそのプロセスが完了する。日系社会も例外ではない。第二次世界大戦の影響もあり、ハワイなど北米地域での英語への切り替えは無論のこと、南米でもポルトガル語、スペイン語への切り替えが急速に進み、現在、2言語能力を具えた人材を輩出しているとは言えない現実がある。(小沢:1972ほか)
以下の日系二世教師が見た南米における日本語の現状例からも、それがうかがわれる。(文中の「K6」とは日本で研修中の日系日本語教師で、インタビューの6番目の協力者を意味する。)

K6(ブラジル):三世でももう話せないから。四世、五世、どんどんどんどん日本語がなくならないように習えたらいいなあと思います。

K11(アルゼンチン):田舎の二世は日本語はしゃべってスペイン語もわかる。街の二世はスペイン語は完璧なんだけど、日本語は全然わからないから、もうスペイン語になっちゃってるんですよね。

K16(パラグァイ):継承語としての日本語が今はもうどんどん少なくなって変わりつつあるっていう中にいるんです。(パラグァイの日本語は)消えていくと思います。(略)日系人が減ってきているんですよね。(略)ほとんどが仕事がなかったりとか、(略)日本に引き上げてくる人たちもかなり多いです。それで今年、学校(注:日本語学校)が複式になってしまったんですね。

効果的な教育的介入がなければ言語シフトは短期間に完了するが、ではこれまでどのような教育がなされてきたのか。日系の子どもたちに対する教育は、初期の日本への帰国を視野に入れた日本人教育に始まり、現在は現地語を母語とする子どもに対する、外国語としての日本語教育の時代だと言われている。日系社会の子ども達の教育のために、ボランティア的精神で尽くしてきた多くの人びとの努力にもかかわらず、言語継承という面だけに限ればあまり成果をあげてきたとは言えない状況もある。(鈴木:1994、深沢:1995、佐々木:1996、渡辺ほか:1999 ほか)
その流れは、大きく4段階に分けられよう。
(1) 日本学校 
日本精神を学ぶことを目的とし、日本語による“教育”が行われた時代である。「単なる日本語という言葉の教育だけではなかった。日本人であるべく教育することであった。『和魂伯才』(略)ブラジル人としての才能を備えながら日本人としての魂を忘れない二世を作ることであった」(宮尾:33)。
(2) 日本語学校 
日本式しつけを重んじ、体育、書道、裁縫などを行い、母語としての日本語である国語の教育を行う。日本語の位置づけに変わりはないが、「日本語で子どもを教育していく」というより、「日本語自体を教えること」が目的化し始めた段階を指す。第1段階の延長上にあるが、子どもたちは現地の学校とあわせて日本語学校にも通い、「誠実、正直、勤勉」といった“日本文化”の継承、国語能力の育成を目指す教育を受けた。やがて、家庭およびコミュニティでの日本語運用機会の低下とともに子ども達の国語能力は落ち、日本語学校の教育は、「意味のよくわからない国語教科書の書写教育に近い」と形容されることも出てきた。
(3)(外国語/継承語としての)日本語学校 
構造シラバスにもとづいた教材で言語教育を行う。もはや国語教育では通用しないと言われ、基礎的な文型から積み上げていく言語構造重視の、外国語としての日本語教育が強調される時代となる。日本語能力試験の合格などを目標とする。
(4)(年少者のための外国語/文化紹介)学校
年少者の場合、「日系」といった文化的背景を共有する子ども達、日本に興味を持つ子ども達が集まり、文化紹介・動機付け・楽しさといったものを重視する教育を受ける場という位置づけがされる。ひとつの学校でも、成人の学習者の場合は、外国語としての日本語教育に徹した、言語構造重視の効率的言語教育を行い、年少者のための動機づけを主たる目的とする教育とは分けて考える傾向がある。
 
K11(アルゼンチン二世教師):週に1回は絶対覚えるチャンスがないと思うんですよね。ですから、無理やり日本語を覚えさせるより、楽しく6年間過ごして、卒業したあと、15とか16とか18とか20になったら、小学校で過ごした時間を思いさせて、「ああ、楽しかったな」、「ああ、また、ああ日本語を勉強したいな」という気持ちになってほしい。

K13(ブラジル二世教師):日本語は科目として、普通の学校(注:現地の公的教育)に入れたほうがいいと思う。みんなちょっと反対していますけど。(略)科目として入れたら、ブラジル人全員知る機会があるので、それは一番いいと思っています。

上記のK11のコメントからは、週に1回だけの授業では日本語の定着がまずのぞめない、動機づけの授業であると認識されていることがうかがわれる。K13からは、外国語としての日本語の位置づけが感じられる。両者ともに、ことさら日本語を「継承語」とする視点は見られない。しかし、K11、K13自身は子どもの時に継承語として日本語に接し、現在の自身の言語能力を形づくっている。
新天地で新しい人生を目指す人間が現地の言葉にシフトすることは、ある意味で当然の流れである。しかし、21世紀は人の往来と通信がいっそう活発化し、異なる母語を持つ話者同士の接触場面がさらに増大する時代である。人は国という枠組みからもっと自由になり、個人としての選択幅が広がる。そのような時代には、確固とした「個」を持った上での多文化・多言語能力が強く求められるだろう。その時代に、はたして“自然な言語シフト”を傍観するだけでいいのだろうか。
さらに、国境を越えた移動に伴う言語環境の変化は、豊かな多言語能力を生む機会ともなるが、ひとつの言語すら不十分なレベルに留まる機会ともなる。日本国内では、いったん言語シフトの完了した出稼ぎ者の子どもたちが厳しい言語環境のもとに置かれている。教育を受ける機会が、言語手段の点から十分には与えられているとは言えない状況がある。これ以上の犠牲者を生み出さない、つまり、権利としての言語の点からも、多言語能力を備えた人材の社会的貢献という人的資源としての言語の点からも、言語シフトの傍観という態度は捨てられるべきであろう。望む人には、効果的な教育的介入を可能にするシステムの整備が求められる。

2. 日本語継承の負の要因

南米という日本から地理的にも離れた地域は、日本語継承において、様々な負の要因を抱えている。以下に主たる要因をあげる。

(1) 社会的変動
各国の移民政策、言語施策等の変化、また、戦争などは言語継承に大きな影響を持つ(三田:1995)が、もっとゆるやかな変動として、日系人の出産率の低下があげられる。他のエスニックグループとの結婚率が上昇し、ブラジルでは四世世代の62%が混血だとされる。(人文研)
しかも、村上(1997)が指摘するように、日系社会は中国系などに比べて新移民が少ない。新たな人の流入が限られるのは北米だけでなく、南米にもあてはまる日系社会の特徴なのである。さらに、かつての移民は固まってコロニアと呼ばれる入植地・移住地に住んだ。しかし、都市への流出が起こり、移住地の日系組織は崩壊しつつあるという。

(2)受け入れ社会の多言語状況
Doi Elza (2003.3)は、ブラジルの多言語状況について触れているが、南米地域は移民の国々であり、移民の出身地域の言語がそれぞれ持ち込まれている。無論、ブラジルに例をとれば、ポルトガル語が国の言語としてきわめて優勢であり、大規模言語調査の「日本語観国際センサス」においても普段の生活で話す言語の1番目に流暢である言語は98.6%の人がブラジル・ポルトガル語としている。次に、英語の優位性は否定すべくもなく、同センサスで「今後、世界のコミュニケーションで何語が必要となると思うか」という問いに対して、英語は母語の27.5%を抜いて、一位の72.2%を示した。ただ、日本語に関しては、イメージが良いという結果が出ている。「非常に好き-23.4%」、「やや好き-33.0%」は、「非常に嫌い-24.7%」、「やや嫌い-9.9%」からどちらに比重が傾くかは明らかである。しかし、現実に学んでいる人は限られているのだから、単なる社交辞令とも見られる。やはり、ブラジル社会全般を見回せば、英語教育の重視、さらに、多言語状況の中で、日本語は限られた母語話者の集団によって用いられる、非常にマイナーな言語である点は他の項目から見ても否定できない。(新プロ「日本語」総括班・研究班1:1999)

(3)言語運用領域・言語運用形態の限界
家庭内での日本語運用は、圧倒的なブラジル・ポルトガル語を前にして、低下を続ける一方である。日本語でなければコミュニケーションが持てないというドメインも減少する。例えば、宗教ドメインの早期言語切り替えなどもそのひとつの例である。日本の宗教は早期にポルトガル語に切り替えることによって、ブラジルに浸透していったという。日本語保持への貢献度という点からは残念な現象となる。六世になっても家庭内言語がドイツ語だというドイツ系集団移住地がしばしば対照的な例としてあげられるが、「聖書を読む場合あるいはお祈りをする場合、ドイツ語でなければありがたみもないし、祈りの実感もなかった(略)」(宮尾2002:259)はそれなりの影響を持つだろう。
家族、および、近隣の日系人との会話のみに限られる言語手段として使われる日本語に、どうしても習得しなければならないという大きな価値を置くことはむずかしい。しかも、家族との会話も、圧倒的に優勢な言語であるポルトガル語で間に合うとなれば、当然そちらを使うことになる。

K12(ブラジル二世教師):(父母から日本語で話しかけられて)あまり意味がわからなくてね。別にいいかと思って。(笑)(略)ほとんど意味がわからなくて、「はい、いいえ」と「わかりません」「わかりました」そればっかりでしょ。(略)答えられなかったら、なんかバシッとやるから。(笑)それだけだよね、記憶に残って。「わかりました」とか「ありません」とか。
K14(ブラジル二世教師):うちで(日本語が)話せるのは私だけなんです。(略)(父母がずっと日本語で)やってれば良かったんですけど、やらなかった。(略)一世なのに、父はほとんど家にいなかった(略)。母はいたんですが、(忙しくて)ほっぽり出されて。

 (4)「日系」への帰属意識の欠如・反発
「日系社会」や「コロニア」という語と、「古い」「経済的困窮」「社会の本流からはずれた」といったイメージとが結び付いてしまった例もあるとされる。高学歴の日系人と「コロニア」を支えている人たちの意識との間の乖離(宮尾2002)なども指摘されている。外見から何代になっても「日本人」と言われ、日本人であれば日本語が話せる、日本文化を知っているといった期待を持たれることへの反発が生じることも多い。ポルトガル語では堂々とした雄弁な知識人が、日本語は方言色の強い、一世代前の、家庭・日常生活領域の話し方であったりする。それを自身の都会育ちの子供に伝えたいとは考えない。外国語を学ばせるなら英語を選択するという人も多い。
しばしば指摘されるが、日系の子供は非常に学習動機が低いのに対して、非日系の子供は目を輝かせて日本語を学ぶという。さらに、ダブルの子ども達もふえ、外見も「日本人」から離れつつあるという社会の流れもある。

 (5)経済的要因
日本語能力を維持することが、必ずしも経済的効果を生むとは限らない。出稼ぎの持つマイナス要因も現在は周知されている。南米の日系企業でも英語のできる人材を求めて、日本語ができることの経済的効果がないという状況もある。

(6)物理的距離と交通・通信の発達
交通・通信の発達がめざましい現代にあっても、物理的距離の大きさはやはり負の要因となる。飛行機に乗った場合、はるかに短時間で北アメリカに着くのである。当然、日本との連携の弱さ、往来のコストの高さに結びつく。
逆に、訪日機会が増えたことや衛星放送などで、日本の情報がかなり日常的に手に入り、もはや遠くにあって想う国、父祖の地として憧れを持つ国ではなくなったということもある。

K14(ブラジル二世教師):私と同じ世代、ほとんどと言っていいくらい、日本語が話せない。(略)二世で。(略)ほとんどの人が戦後の移住者ですよね。(略)日本に出稼ぎに来ても覚えない。(略)努力しなければ覚えないし、ほとんどの人はそういうことにはまったく興味がない。もったいないんだけど。今は日本のテレビも見ない。衛星放送でブラジルの番組が入ってきてますし、ビデオとかも前からありましたので。

(7)言語的距離の大きさ
言語の習得を考えるとき、言語間の距離は無視できない要因となる。表記システムや語順などに見られるように、日本語とポルトガル語との間の言語的距離は大きい。かりに同じ学習時間を使ったとして、ポルトガル語母語話者は、スペイン語を学習すればはるかに高いレベルに到達できるのである。

(8)文化的距離
言語同様に、文化的な距離もまた大きい。日本政府の自国語自国文化普及事業の弱さもあり、優れた翻訳ひとつとっても、量的に欧米諸語にくらべて劣位に立つ。学会などの通訳が出来る人もきわめて少ないために、文化的な交流が限られるという現状がある。それだけ、伝統文化をはじめとする、日本に関する多様な文化との接触・理解も限られる。

(9)教育的介入の未整備
日本語教育はボランティア的精神にたよることで連綿と続いてきた。日本語教師は「移民の落伍者」という考え(宮尾:150)、日本語教師に対する社会的評価の低さがあったことは否めない。それが優れた人材の定着をはばみ、人がしばしば入れ替わる現象を生み、日本語教師の専門性の欠如、教授技術の低さに結び付きがちであった過去がある。JICAをはじめとする日本からの援助はかなり行われてきたが、物的リソースのひとつである教材ひとつとってもなされるべき整備はまだ多い。奉仕の心と他からの経済的裏付けがなければ日本語教師を長く続けることはできないとされるゆえんでもある。しかし、逆境の中でも熱心に研修会に参加し、技術をみがいている先生も少なからず見られるのも事実である。現状では現地における教師同士の連携もいっそう望まれ、さらに、日本国内の教師との連携は今後に俟つ状況にある。

3. 3代で消えないJHLのために

日系だからと言って、日本語を継承しなければいけないものでもなければ、そのようになるわけでもない現実を見てきた。また、移住先がひとつの言語でまとまるという言語政策をとっている時に、移民の継承語環境が整備されることを強く期待することも難しい。南米等の地域における日本語継承について考えるとき、まずそれが各個人による主体的選択という点は共通に認識されるべきである。
ただ、これまでも「個」による選択がなされ、努力はされてきた。しかし、親が子どもに日本語を勉強しろ、勉強しろと言うこと、親が日本語でコミュニケーションを持とうとすることはある程度の効果を持ったが、万能ではないことも見てきた。インタビューした多くの日系日本語教師が、親の強要がかえって負の要因となることを述べている。例えばK14さんは「親とは本当に会話しなかったと思う」と述べている。(佐々木:2003)
では、何が良質のインプットとなったのか。K14さんは漫画をよく読んだという。さらに雑誌も読んだという。

――日本語で書いてあるもの、なーんでも読みたいと思って読んだ。ただ、文学的とかそういうもの読んでれば良かったんですけど、そうじゃなくて、「家の光」とか婦人なんとかとかあるじゃないですか。そういうのを読むのが好きだったんですよね。――
 「私が日本語を覚えた時が子どもの時だった」からK14さんは日本語のトータル・イマージョン方式をとる幼稚園教育に今後のキャリアをかけたいと考えている。

 ブラジル移民開始からまもなく100年、四世の時代を迎えようとしている今、まず手をつけるべきことを2点あげたい。
(1)日本語環境の的確な把握
 日本語の雑誌や新聞の購読、衛星放送の受信、書籍、ビデオ、カラオケ、日系組織での活動、家庭内言語使用、職場での言語使用など、どの領域で日本語が維持されているのか、どの領域で日本語からポルトガル語への言語シフトが見られるのかの細かい調査が望まれる。また、国境を越えた移動の時代が実現している今、日本訪問、日本在住機会も日本語環境の把握の際、重要な要素となる。現在大阪大学21世紀COEプロジェクト「インターフェイスの人文学」・「言語の接触と混交」研究班によって、ブラジル・日本両サイドの研究者によるブラジル日系社会の言語調査が進行中であるが、ブラジルでの調査地域は2か所に過ぎない。多くの人々によって、他の地域の的確な把握がなされることが望まれる。

(2)  言語環境の有効な利用のための情報の収集と伝達
第2のステップとして必要なのは、日本語環境をどう言語の習得・維持に結びつけるかについての情報である。子どもに日本語を継承させたいと願っている周囲の大人が、まわりの日本語環境を認識せず、どちらかと言えば言語習得・維持に結びつきにくい教育をとるといったことも見られる。日本語の人的・物的リソースのリストとその有効な利用例をわかりやすく説明する情報が行き渡ることが望ましい。教室内で“教える”ことのみに集中せず、各人の日本語環境の活かし方を設計する能力の育成が、日本語教師研修などと結びつけて考えられるべきであろう。
これまでは情報の乏しい中での言語シフトが起きてきた。今後は、的確な情報に基づいた、個人の意識的言語選択の実現が望ましい。どのような選択であっても、各人の選択は尊重されるべきものであるが、言語継承の難しさも、意味も知った上での選択であってほしい。そして、言語継承の選択がなされたときには、遠隔教育等を含んだ多様な支援体制が用意されているべきである。そこに3代で消えないJHLが見られることになろう。最後に、インタビューに気持ちよく付き合ってくださった日系日本語教師の皆さんに感謝し、今後の連携が続くことを切望してやまない。

<参考文献>
小沢 義浄(編著)(1972)『ハワイ日本語学校教育史』ハワイ教育会
佐々木 倫子(1996)「ブラジル人の日本語学習環境」『日本語とポルトガル語(1)』国立国語研究所(刊)くろしお出版 
佐々木 倫子(2003)「加算的バイリンガル教育にむけて―継承日本語教育を中心に―」『桜美林シナジー』桜美林大学
サンパウロ人文科学研究所(2002)『日系社会実態調査報告書』(非売品)
新プロ「日本語」総括班・研究班1(編)(1999)『日本語観国際センサス 単純集計表(暫定速報版)』文部省科学研究費(創成的基礎研究費)「国際社会における日本語についての総合的研究」
鈴木妙(1994)「ブラジルにおける日本語教育 ―サンパウロ大学を中心に―」『世界の日本語教育<日本語教育事情報告編>』第1号 国際交流基金日本語国際センター
高木眞理子(1992)『日系アメリカ人の日本観 -多文化社会ハワイから―』淡交社
田中 圭次郎(1985初版・1997第3版)「第8章 アメリカにおける『日系人』・『日本人』子弟の日本語・日本文化教育」『多文化教育の比較研究』九州大学出版会
深沢リジア真澄(1995)「85周年を迎えたブラジルの日本語教育」『世界の日本語教育<日本事情報告編>』第2号 国際交流基金日本語国際センター
前山 隆(1996)『エスニシティとブラジル日系人 ―文化人類学的研究―』御茶の水書房
三田 千代子(1995)「二つの『排日』を超えて ―ブラジルの移民政策と日本移民」『ラテンアメリカ 人と社会』新評論
宮尾 進(2002)『ブラジルの日系社会論集 ボーダレスになる日系人』サンパウロ人文科学研究所 
村上由見子(1997)『アジア系アメリカ人』中公新書1368 中央公論社
渡辺 栗原 章子・一甲 真由美 エジナ(1999)「ブラジルの日本語教育をめぐる現状と展望」『世界の日本語教育』第5号 国際交流基金日本語国際センター
Doi Elza T.(2003.3)「ブラジル多言語環境における日系社会の言語」国際研究会「越境する日本語―ブラジル日系社会の言語をめぐって―」

津田和男「中等教育とJHL:アカデミックランゲージとアイデンティティ」

「中等教育とJHL:アカデミック・ランゲージとアイデンティティ」

津田和男(国連国際学校、 New York)
Ⓒ2003 TSUDA

母語・継承語・バイリンガル教育研究会

「もう一つの年少者日本語教育−継承語教育の課題 」
パネル2「中等教育とJHL:アカデミック・ランゲージとアイデンティティ」

津田和男(国連国際学校、 New York)

キーワード:内発的、自省的、自助的考察、アカデミック・ランゲージ、アイデンティティ、教育のパラドックス、ナショナル・スタンダード、継承語教育、インターナショナル・バカロレア、教育としての日本語



この論考は、2003年5月25日に日本語教育学会が一橋大学で開催した春季大会にて日本で「継承語教育」にかかわる初めてのパネルを組んだことを記念して発表したものを、今後の継承語教育に対する発展を期待して再考を重ね、新たに書き直したものである。当日の発表は予定稿とパワーポイントを使用したこと、パワーポイントで使用した図は、予定稿執筆時点とは2か月以上の時間差を経て、より発展した意識を盛り込んでいること、予定稿を越える課題や事項が含まれていたことから、この論考では両者の意識を整理してまとめておきたいと考えた。さらに、学会発表時に、聴衆からの興味関心があるという声や、私の発表時における用語は学際的バラエティーが多く、日本の聴衆にとって不慣れな用語であったりするという声があったのと、この発表自体が、2003年の継承語・バイリンガル研究会の予定稿的要素を含んでいたとの理由で、再度書き改めようと思いついた次第である。
それ故、基本構成としては2003年春季の日本語教育学会の予定稿に従うが、その都度パワーポイントでの発表にも言及しておくことにする。また、学会大会での発表以後考えた問題などにも触れて提示したいと思う。特に、日本語教育学会発表以後、日本でもREX-NETのNPO立ち上げ、国際理解教育学会での自己の発言、全海研(全国海外研究)でのパネル、アメリカでの『銀河』製作(季節シリーズ第2巻の発行)、ノースカロライナでの発表、ヨーロッパでのパネルの思考の過程などがこの執筆時と重なるので、そこでの問題意識が絡んで提出されていることも理解していただきたい。
           
1. 実践者としての私の立場:内発的、自省的、自助的考察

 青少年の学習者を対象とする継承語教育の研究は、単にいわゆる「研究」という立場で推し進めるだけでは不十分である。「教育としての日本語教育」(津田, 1994)は、次のような姿勢から出発している。第一に実践者と学習者の相互の内発的、自省的、自助的な展開による。いわゆるアカデミックな研究で行われる数量的な処理やエスノグラフィーの観察という方法は取らずに、内発的、自省的、自助的に実践の面から継承語教育に取り組む。継承語研究がまだ始まったばかりであることと研究者自身が広い層をなしていず、また、フィールドでの実践が研究にも大きな影響を与えることが明白であるからだ。
この継承語のフィールドでは実践者自身の内発的な忍耐を伴う創造力や、常に現実課題に対する内省的な評価力が、また、他者とともに経済的にも政治的にも心理的にも、自助的集団による問題解決能力が必要である。そのためには、一般の教育現場と継承語教育の現場とを比較する必要がある。継承語学習者にとっては、社会化のプロセスとアイデンティティの確立が複雑に絡み合っているのである。したがって、単純な類型論で語るわけにはいかず、内発的、自省的モデルを、個人にも地域社会にも役に立つという自助的な観点から、構築しなければならないのである。
まずは、私の立場を鮮明にしたいと思う。実践者としてのそれを私の立場とした。これは当研究会の基本的な規定が研究者の立場となっていることに対して自己背反している。なぜなら、私は実践者の立場を崩していないだけでなく、実践者が持つ研究者に対する優位性も表明しているからである。日本の伝統的態度からいえば、生意気な不謹慎な態度である。しかし、21世紀に入った今日、実践者であり、研究者であるといったような改めてルネッサンス的状況が生まれているのである。一見、私の立場はその意味では自己背反を犯しているように見えるが、むしろ、自己はこの自己背反律の中に大きな意義を見出している。内発的であれ、自省的であれ、自助的であれ、かなり自己背反的な要素を持っていると思われる。
「内発的」は夏目漱石が外国から日本に帰って気付いたことである。それは西洋に出かけ、彼の体験を通して日本の発展を考えた時、外発的な刺激によって発展するものではなく、内発的発展の必要性を訴えたのである。また、1997年にハマーショルド財団や鶴見らよって提唱されたものでもある。いままでの経済発展はヨーロッパをモデルにしてきた。自分たちによる発展の原理を西洋モデルではなく、自分たちが悪戦苦闘して築き上げた自分たちの文化から引き出そうというのである。ただし、そこには様々な混乱と葛藤を乗り越えるキーパーソンがいるといわれている。私たちが継承語を語るときこのキーパーソンは単に一人の孤高な存在ではなく、集団的で地域的な力の想定が必要になってくる。
次に、なぜ「自省的」なのかというとこれは「内省的」という言葉とも結びついているといえる。自省的とは柳田国男がかれの民俗学の中で民俗学は内省の学問だといったことに結びついている。また、内省論はヨーロッパ哲学の中でも古代から展開されている学問体系であるが、内省が実践活動に結びつくことはなく、宗教性や瞑想性に結びついている。われわれにとっては内面的な自省も実践的な内省も相互補完的だと考えている。
また、「自助的」とは生徒も教師も自助的にならざるを得ないし、自助性を意識化しなくてはならない。自助的であることにおいて、自助的アイデンティティの確立に大きな影響を与えることになる。精神障害者などの自助グループが話題になっている昨今であるが、社会の周辺にいるもの同志の自助努力がいかに大きな力を働かせるかなどが課題である。さらに、従来の教員中心主義の教授法に対するアンチテーゼでもある。生徒同士の自助努力によってより学びの可能性を切り開くものである。勿論、他者の立場を受け入れるという多様性の受容がそこに流れていることは確認しておきたい。その意味では多分に互助的なのであるが、敢えて自助的であるというのはその集団のもつ自立性も焦点としておかなければならないという理由である。
自助性・内発性・自省性の相互作用により、共同集団行為による学習の認知過程が明らかになると思われる。すなわち、共同集団学習がもつ積極的な価値を見つけ出せるのではないかということであり、少なくとも私にとっては過去の30年間において一定程度の成果が上がっていたと思われる。生徒の生活背景の多様さや学年の壁の乗り越えによる自助集団の形成が、共同性と多様性の合体の中でそれぞれの立場で行われてきたと思う。
第二に、私自身が教師であり、カリキュラムを作るという立場から、継承語教育が持つ教育上のパラドックスをまずしっかりと自覚する必要がある。教育というものがつねに社会のプラスの価値を志向するがゆえに、教育者はマイナスのものを切り捨てていく傾向をもつ。教育が評価を導入する限り、この問題を避けて通ることはできない。カリキュラムは常にその社会のある目標に向かっての到達点を基礎にしている。評価はそのカリキュラムにおける生徒の到達点と照らし合わせて評価されるため、到達点に達しないものはマイナスの評価が下されることになる。
継承語の場合、親社会(親が属していた継承語社会)の価値が評価基準になる。生徒たちが属している社会は親社会に対して言語的には上位社会になるので、継承語の親社会に対してはマイナスイメージがある。従って、生徒たちが属している子社会は、親社会に対して下位社会となるが、価値基準はまず、マイナスの価値をもつ親社会に対して価値を見出さなければならない。そのうえ、子供たちは自分の言語環境にも、従わなければならない。それ故に、二重のパラドックスを生徒たちは抱え込むことになる。
どんなにがんばっても、親の持つ価値からは評価されない。継承語は常に本国のことばに比べられ、マイナスに設定される。また、頑張らなければ、通常における社会同様に、マイナスの評価をうける。その上、子社会の言語の習得と継承語言語習得の両方に時間を費やして、継承語言語習得が時にはプラスに見えたり、時にはマイナスに見えたりする。主要言語の場合は、一般社会からプラスの価値づけがされているのに対して、継承語はマイナスの価値づけがされているという事実がまず存在する。それゆえに、マイナスを単にプラスにするというだけではうまくいかない。継承語学習者がこのパラドックスにみごとに立脚しているという構造自体を明らかにしなければならない。それ以上に、現在ニューヨークなどでは、一般社会自身の多重言語化がより進み、英語がその社会の言語として君臨していない状況も表れてきている。また、移民地域の変容によって様々な継承語同士のぶつかり方が現れてきている。スペイン語や中国語や韓国語が平然と存在するニューコーク市の場合、公立高校では25か国語が学校内で自然に存在することがあたり前のこととなっている。私の学校ではそれ以上に125か国の生徒が存在し、70の母語の異なった生徒たちが存在する。その上、日本人とフランス人の親がアメリカで生活するという例のように親社会の言語環境も重層化し始めている。

2. インターナショナル・バカロレア(IB)における言語教育方針の歴史的背景とその内容

IBプログラムに継承語教育が認定されたのは1997年である。日本語に限らず、グローバリゼーションの中で、それまでの言語教育体制では世界的な言語環境の変化に対応できなくなったためと考えられる。このような変化が起こるに当たっては、言語習得の難易度(日本語や中国語などアジアの言語には時間がかかる)やアフリカなどの多言語社会の問題を指摘しておきたい。内発的な変動の兆しがそこに読み取れるからである。
 IBの継承語教育では、言語面の教育だけでなく、新しいコンテンツを含んだ、いわゆる「教育」そのものが要請されている。様々なトピック、例えば「変化」、「グローバル」、「言語/文化」、「メディア」、「社会」、「文学」について、多様なコミュニケーション様式で、かつ 様々なオーディエンス (audience) を意識した表現行為が要請されている。母語では自然体で無意識に可能なことも、継承語の場合は、意識的かつ段階的に指導し、表現を捉える過程を意識化しなくてはならない。このプロセスそのものが、内発的、自省的、自助的な教育に寄与するのである。
ここでは、今年の3月に行ったATJニューヨーク大会のSIGの会で発表したものの一部を少し加える。(津田, 2003)  IBの継承語教育は学習言語の課題となるテーマをトピック別に用意すると同時にコミュニケーションの様式とオーディエンスの多様な存在を意識している。すなわち、言語の国内の学習者ならば自然にこれらの言語の形態に対応するのに対してその様々な様式や存在の多様性を意識化した方法論が必要であると説いているのである。
コミュニケーションの様式の多様化とは文学形式だけでなく、ジャーナル形式、会議形式、新聞形式、歌謡形式、メディア形式、広告形式など様々なコミュニケーションの様式が考えられる。またオーディエンスの様々な形態、例えば、若者向け、大人向け、学識経験者向け、子供向けなどと、二人の会話と三人参加のインタビューなどをコミュニケーション様式と組み合わせ、トピックもそれに合わせるようにカリキュラムを作る。
評価の段階でも以上の多様性がはかれる形式を採用して、内容の比較やトピックの様式の比較だけでなくコミュニケーションの様式の比較にまで及んでいるし、オーディエンスへの意識も要請されている。

3. 最近の継承語教育の動向とその特徴

 日本語教育全般の動きの中で、米国ニューヨーク州を中心とする新しい継承語教育の動きと特徴を捉え、「内発的な模式」(鶴見, 1997)のケースとして考察する。米国北東部での中等継承語教育は米国内での戦前のハワイ型や戦後のカリフォルニア型とも異なった最近の新しい継承語教育であり、その継承語教育運動が内発的にニューヨーク市やプリンストンで独自のものとして開発されてきたことによる。そこにはキーパーソンと思われる教育実践者の実験の成果があり、それが新しい世界の教育運動と呼応していることが特徴である。
まず今回のパネルでの問題提起(中島, 2003)では、継承語教育が外国語教育(JFL)、第2言語教育(JSL)とどう異なるかについて、教師、学習者、教育形態、教授法、評価の諸点から比較する。更に継承語教育の枠組みの特徴を5つ挙げる。少数言語であることから来る学習者自身の継承語に対するマイナスの価値付け、教育の場が家庭と課外の教育機関であるために認知面の言語能力が伸びにくいこと、学習者の知的発達、人間形成(アイデンティティを含む)、情緒安定に密接に関わる言語習得であること、周囲の少数言語集団との関わりの中での学習であること、教育介入の方法が世代によって異なること。学齢期の途中で移動した準一世の場合は母語の保持・伸長が中心課題になるが、現地生まれの二世児になると継承語をゼロからどう育てるかが問題になり、三世、四世児以降は、継承語が生活上の機能を失い、言語文化集団のシンボル化する(Isajiw,1987)。しかし、継承文化存続のためは、継承語の活性化や再獲得が不可欠であり、その方法として唯一有効だと考えられるのが、学校教育機関の中に組み込まれた継承語イマージョン教育である(Fase et al, 1992)。

4.ナショナル・スタンダードと継承語教育

米国のナショナル・スタンダード(1999)をJHLの観点から考えたい。ヨーロッパ諸言語の学習と比較して、日本語学習には膨大な時間がかかる。習得時間の膨大性を、内発的、自省的、自助的に超越するという視点から、ナショナル・スタンダードは、JFLと比べて、よりJHLに応用可能だと思われる。なぜなら、ナショナル・スタンダードに掲げられたK-16の継続的言語教育の方向やIBで取り上げられたA2 language programは継承語教育とも重なるからである。JSLやJFLの学校でK-12ましてやK-16の継続性を持っている学校は極めて少ない。ところが継承語教育なら親との協力をふくめて長い間サポートが可能である。これは、むろんJFLへの多大な努力を否定しているものではない。むしろ、JFLがよりK-16の一貫性を追及することを目標として、実現してもらいたいものである。ただし、JHLが現在K-16の継続性という問題を私的にも公的にも実現できる可能性を大いに孕んでいるという指摘はできるのではないかと思う。従って、簡単な計算で1年間に100時間が直接授業時間とすると、12年間でやっと中級に達することになる。いかに中級にJFLやJSLで到達するのが大変かが分かろう。継承語教育では家庭内での努力によって生活言語はほとんど問題のないケースが多いわけであるから、出発点がJFLやJSLと変わってくる。継承語教育では、生活言語の中でも待遇表現などいろいろ問題があるが、やはり、学習言語が問題となってくる。また、ナショナルスタンダードでもIBでも内容重視や他学科との連携がうたわれていることなどから、明らかに生活言語だけでなく学習言語の重視の方向が見えている。例えば、ナショナルスタンダードでは文化(Cultures)や他学科との連携(Connections)は明らかに標準課題であるし、IBでもトピックの課題も同様な問題を含んでいる。
ナショナル・スタンダードに掲げられたK-16の継続的言語教育の方向やIBで取り上げられたA2 language programは継承語教育とも重なる。先の中島の問題提起にふれて考えると、ナショナルスタンダードのような展開が可能になれば、継承語のマイナス面に対して学校のシステムの中で単位制として社会化され、プラス面が出る。教育の場が学校内へとヘゲモニーの関係がプラスになる。学習者の知的、情緒的アイデンティティの回復がスタンダードでは他学科、文化、社会、比較の中でおこなわれる。IBでのカテゴリーの選択が学習者に明白な意識化を喚起する。継承語集団の社会化と個人化となる。入り口の多様化と出口の多様化を2つのプログラムでは可能としている。そして、ライフロングの学習過程が提唱されるべきである。

5.アカデミック・ランゲージと中等教育のあり方

中等教育の継承語プログラムでは、アカデミック・ランゲージ習得のため、内容重視の言語教育アプローチをとっている。その習得プロセスは、認知科学的方法や内発的、自省的、自助的な方法を通して展開される。
もういちど教育の現場に立ち戻って考えたいと思う。すなわち、中等教育に興味を示している皆が必ず対面する問題である。近年日本でも学級崩壊や教育の荒廃が叫ばれている。それはグローバルな世界の近代化のなかで、より崩壊の速度を速めているように見える。アメリカにおける教育の危機は1980年代にその頂点に達したと思う。特に、中等教育におけるエンタープライズ型の誰のニーズにも合わせたスーパーマーケット型の中等教育は暴力とドラッグの巣となった。その反省から新たな小集団による様々な教育システムや指導法が開発されていった。
たとえば、チャータースクールの地域への導入、マグネットスクールやオルタ-ナティブスクールによる地域内における組替えで新たな可能性を引き出す試み、コーポレートプランニングによる小集団学習内の相互自助学習の効果、クリティカルシンキングによる問題発見の見直しから解決への新たな道筋、ポートフォリオによる学習過程での理解に関する学習者・教育者・親・学校組織からの透明性のある評価基準の設定などである。
日本では1980年代から、明治近代に作り上げてきた近代位階制から近代的な機能分化制へと変わった。そしてこの間の教育現場は位階制的な教師の権威を失う過程であった。それまでの日本の教師は、教育上の権威を提示することで、上意下達の位階的システムによって教育できた。しかし、80年代以降では近代的なシステム社会になり、あらゆるところで機能的なシステムが代替可能になって問題を解決し、その問題を平準化するために他者がいつでも入れ替わる個体として扱われる社会になった。しかも、そうなりつつも、旧来の教育指導方式で対応せざるをえなく、学校での暴力や学級崩壊現象がおきた。日本でも90年代の後半に入ってスクールカウンセラーの導入、エンカウンターやピアサポートプログラムの欧米からの導入によって新たな学校の復活が始まっている。
奇しくも、日本における総合教育の導入とアメリカにおけるナショナル・スタンダードの問題は二つの国の負の面を見せることになった。日本ではカリキュラム作りの主体である教師の問題解決能力のトレーニングがいままで放置されていたことに教師自身が気付き始めたことがあるが、旧来の位階制的な評価基準だけを取り上げる外部の圧力によって文部科学省内で学力低下が問題視され始め、本来のマルティインテリジェンスとしての多様な教育目標に対する総合教育の無視の路線が始まりだした。それに対して、アメリカではナショナルスタンダードの導入で教師のカリキュラム作りの積極面より、評価基準による地域の学力上昇のための標準テストの導入が地域内の学校への圧力となりはじめた。
日本では個人として学校社会で生きる目標の一つとして今までの相対評価から絶対評価へと移行している。これは位階制的な制度に対して、より近代的な個人主義の顔を伴うが、社会全体の個人性の移行にもかかわらず、社会は旧式の位階制としての受験方式を手放していない。これからはアメリカのように「学力」だけでなく「ボランティア」や「課外活動」までも評価基準に入ってくるであろう一方で、生徒たちは受験の波からは逃れられないであろう。それ故、新たな受験指定校の復活による位階制の復活が進行している。グローバルな教育の総合的な始動と国内的な位階制的な教育の動きの狭間に継承語教育は遠く位置しているが、影響を受けることは間違いもない事実である。
それ故に、現状の分析による影響以上に、教育の持っている原理的なパラドックスの上での影響が必然的なものとして現れてくる。教育のパラドックスは絶えない。教育は常にプラス価値を志向しているので、常にマイナスを作り出してきた。「良い子」を作り出すために、「問題児」をどうしても作り出してしまう可能性がある。特に相対評価はそのような基盤にたっているが、現在の教育は日本だけでなくアメリカでも、その根底に、評価に身を置く自分を「あざける」一方で「ガリ勉をする者に対して勉強なんてしていないかっこよさ」を自己主張するという矛盾をはらんでいる。
先にも述べたがこのような一般的な教育のパラドックスに対して教育というものがつねに社会のプラスの価値を志向するがゆえに、教育者はマイナスのものを切り捨てていく傾向をもつ。継承語教育も評価を導入する限り、この問題を避けて通れない。継承語の場合、カリキュラムは常にその社会のある目標に向かっての到達点を基礎にしているのとは別に、その社会の下位社会の目標に焦点があっている。一般には評価はそのカリキュラムにおける生徒の到達点と照らし合わせて評価されるため、到達点に達しないものはマイナスの評価が下されることになる。主要言語の場合は、一般社会からプラスの価値づけがされているのに対して、継承語はマイナスの価値づけがされているという事実がまず存在する。それ故に、継承語学習者がこのパラドックスにみごとに立脚しているという構造自体を明らかにしなければならない。一般の教育の社会では、「他者を蹴落とす」競争をさせながら、「みんなで高めあう共同体」を作り出そうとしていることを踏まえた上で、共同体の中に特殊自助集団を作り上げなくてはならない。継承語における継承語自助集団は、継承語学習者の個々人の多様性を認めた上で「みんなが高めあう集団」を形成していかなくてはならないという成立条件が必要である。
教師らもこの多様性を認めておかないと価値の固定化が始まり、自助集団そのものが簡単に崩壊する。一般的な教育では比較的一元的な原理によって設定されるが、ここではそのような原理の導入が集団の崩壊か集団の位階制的な変質を生むことになる。教師の側のグローバルな視点形成とカリキュラム作りの具体化の中に、つねに内発的で自省的なプログラム作りをしなければならない。これはある意味で、いままでの「教授学習法」による情報伝達過程の考え方、すなわち教師が知識の情報源であり、生徒はその情報を解読するという考え方を否定することである。今後は、生活の形式や言語ゲームになじむことから始めてその言語活動全体に参入する経験を通して、自己生成的理解をする方法がとられなくてはならない。特に学習言語では一方的な知識の情報伝達ではなく、生徒や学習参加による(あるいは大人の参加者を含めて)対話と復活を通して自己生成を行わなくてはならない。
一方、学習言語の現地社会と継承語社会の多様な解釈の容認をファシリテーターとしての教師は見定めておかなくてはならないし、最低限の言語や知識のコーチングやアカデミックな徒弟制度など様々な方式と多様な学習様式を取りいれなくてはならない。つまり、学習言語の獲得に対する概念のあり方とテキスト論的な多様性を常に考慮に入れなくてはならないし、具体的な指示を多様な視点と積極的な学習介在のあり方を踏まえた上で提示しなくてはならない。
学習言語の学習環境などを考察しつつ、中島の問題提起を考えてみると、継承語のマイナス面と学校のマイナス面の中で継承語教育の位置を見定めるところから始める、ヘゲモニーの関係を意識化して自助グループを作る、知的、情緒的アイデンティティの意識化をしてカリキュラムをつくる、継承語集団との社会化と個人化をはかり多様性に応える、出入口の多様化は必然的に形成しなくてはならない。

6. カルチュラル・スタディーズにおけるアイデンティティ研究

 カルチュラル・スタディーズのアイデンティティ研究(吉見, 1999)を参考に、まず米国における言語と若者文化とアイデンティテイの関係を考える。つぎにマイノリティー言語の立場から、言語と他者のアイデンティティとを比べ、継承語学習者のアイデンティティを内発的、自省的、自助的に解明し、模式的なものとして理解する。
テクスト論として始まったカルチュラル・スタディーズは、意味とはつねに特定のコンテクストに縛られて、いつでも特殊な言説の編成や発話の戦略、言語ゲームのルールに依存するという事実に敏感だ。あるテクストがどのような場で生成されているのか?どのような条件の下で、そのテクストは流通しているのか?それを読むオーディエンスや消費者はどのような人々で、いかなる歴史の契機とかかわり、どんな組織や言説の構造がそこには働いているのか?そして以上のような要素を形作ってきた、より広い意味の伝統や歴史の力とはいかなるものか?(A Dialogue, Hall、16)
それゆえに、カルチュラル・スタディーズは存在よりも生成変化のプロセスを重視する。アイデンティティはそれが捜し求めてきた歴史的な過去の中にその起源を見出そうとするように見えるが、実際には存在よりも生成変化のプロセスのなかで、歴史、言語、文化の資源を使うことである。「われわれは誰なのか」「われわれはどこから来たのか」が問題ではない。重要なのはわれわれは何になることができるのか、われわれはどのように表象されたのか、他者による表象が自分たち自身をどのように表象できるかにどれほど左右されているのかということである。(Identity, Hall、12)
カルチュラル・スタディーズの他者性やカルチュラル・スタディーズのオーディエンス(吉見, 99)がもっている問題はサブ社会の考察を可能にし、その中での生成的なアイデンティティを形成している。この課題は継承語教育の中で実践可能な課題として問われるのではないかという予感のもとに本稿では考え出されたものである。

7.中等教育における継承語とアイデンティティの形成

ニューヨーク地区の中学生、高校生対象の継承語教育の新しい動きをモデルとして、継承語学習者のアイデンティテイの形成プロセスを内発的、自省的、自助的、模式的に提示する。
教育自体のグローバルで機能的な関係意識が崩壊する中で、教師主導型によって生徒を教育する上意下達方式での教育技術論から、生徒の理解生成を中心とする生徒-教師による共同組織型の教育論が本格的な議論の対象となってきている。継承語教育は継承語社会が少数言語であることから来る学習者自身の継承語に対するマイナスの価値付け、の中で学習者は自己のアイデンティティを機能的に価値付けする(即時的にプラス価値として継承語を位置付けることはできない)ことは、もはや出来ないし、特にグローバリゼーション以降の現代のアイデンティティは流動的で多様な要因があり、ある時は優位な要因があっても、永続的な束縛とはならない。現代の継承語教育はこのグローバリゼーションと関係している。ニューヨーク付近におけるこの30年間の日本語継承語教育の動きは、この100年の日本語継承語の大きな流れの中でも特に流動的で不確定かつ懐疑的な経験に満ちている。
この間、特に70年代から現在にかけて、日本のグローバル化の中で問われた新たな海外子女の集団とは別に継承語学習者の存在が浮かび上がっている。70年代から80年代では海外子女の影に隠れていた継承語学習者の第3の波が現在大きく現れている。たとえば、北東部における小都市の日本人補習校の危機は、あきらかに継承語学習者の学習の問題点を見事に浮き彫りにしている。日本国内の学習過程を規範とする海外子女教育ではなく、外国語教育としての日本語教育とも違う日本語継承語教育の充実の問題である。それは、学習者の知的発達、人間形成(アイデンティティを含む)、情緒安定に密接に関わる言語習得である。社会の機能分化の中で機能的理解から理解の生成変化のプロセスの中でアイデンティティが問題となる。(重要なのはわれわれは何になることができるのか、われわれはどのように表象されたのか、他者による表象が自分たち自身をどのように表象できるかにどれほど左右されているのかということである。)(Identity, Hall、12)
それ故に、現地の学校社会の学習社会と継承語教育における内容重視の教育をすり合わせていかなくてはならない。そこでは、内容把握の方法、テクストのクリティカルな読みやオーディエンスに対する読み、発表表現の内部構造学習に対する具体的なカリキュラムが組まれなければならない。そのためには幅広く文学テクストや一般社会のテクストに対する読みの強化、情報調査の方法の学習、作文や発表に対する自己評価や他者評価などが設定されなくてはならない。また、相互批判の場の形成をファシリテーターである教師は作り出さなくてはならない。
以下に続く課題は先の中島問題提起を受けているし、それ以上に、アメリカでの教育実験や教育運動は、日本で取り上げられた様々な試みとともにより検討されることになると言っておきたい。そして、中島の問題提起を再考してみると、教師、学習者、教育形態、教授法、評価の諸点を比較して気付いたことから継承語教育の枠組を考え直すと以下のことが考えられるのではないだろうか。

少数言語であることから来る学習者自身の継承語に対するマイナスの価値付けについては、継承語のマイナス面と学校のマイナス面の中で継承語教育の位置を見定めるところから始める。しかし、以下に示される様々なカリキュラムと学習課題に対して積極的で多様性のある態度が必要である。
特に日本から来る教師は、近代的でしかも前近代的な制度に支えられてきた問題をしっかりと自覚していないと、簡単に日本的権威主義や日本的利己主義から来る放棄の姿勢に陥りやすい。なぜなら、日本人がこの数十年の近代化から超近代化のプロセスで、二つの近代化を乗り越えた時に、前近代的と近代的な部分を残したからである。この近代的な制度に支えられてきた問題とは、教師は近代社会に特有な機能システムとしての教育システムにおける機能的役割をもっている同時に、その立場は位階的な前近代的秩序思想に裏打ちされたものである、という点である。

教育の場が家庭と課外の教育機関であるために認知面の言語能力が伸びにくいことについては、学習言語の強化を図り、自由でクリティカルな態度と創造的なアイデアの産出を目指し、ヘゲモニーの関係を意識化して自助グループを作る共同の場の自助的な構築が必要である。

学習者の知的発達、人間形成(アイデンティティを含む)、情緒安定に密接に関わる言語習得であることについては、知的、情緒的アイデンティティを意識化したカリキュラム作りが必要である。

周囲の少数言語集団との関わりの中での学習であることについては、継承語集団の社会化と個人化をはかり多様性に応えるようにしなければならない。

教育介入の方法が世代によって異なることについては、出入口の多様化は必然的に形成しなくてはならない。                                        以下、上記の課題達成には次のような具体的な課題が提出されるはずである。
グループ学習と学生徒弟制、コーチング
自己史と日本近代社会史とのかかわり
演劇的な読みの可能性と多角的な視点の確立
オーディエンスへの認識と実際
発表と相互批判
身体性を含めた読みの可能性
発表時における質疑応答の自律化とその許容性
地域や自助的なグループの自律性
地域支援と継承語社会と日本人及び日本社会のグローバルな多様なつながりの形成
などがある。
また、上記の課題を内発的に自省的に自助的に解決することで、新たな発展が期待できるし、これは継承語社会の集団の自助であり、教師自身の自助でもあることも記しておこう。

<参考文献>
Chamot, A.U. and J.M. O’Mally (1994) The CALLA Handbook:Implementing the Cognitive Academic Language LearningApproach. Reading, MA:Addison-Wesley.
Shrum.J.L and Glisan. E. W (2000) Teacher’s Handbook. Heinle and Heinle.
National Standards, ACTFL Series. (1999) National Textbook Company.
Standards for Foreign Language Learning in the 21st Century (1999) National Standards in Foreign Language Education Project.
International; Baccalaureate (1996) Language B
International; Baccalaureate (1996) Language AB Initio
International; Baccalaureate (1997) Language A 2
International; Baccalaureate (1998) Language A 1
吉見俊哉 (1999)『カルチュラル・スタディーズ』岩波書店
鶴見和子 (1996)『内発的発展論の展開』筑摩書房
石戸芳嗣(2000)『ルーマンの教育システム論』



湯川笑子「L1教育からイマージョンへー朝鮮学園の継承語保持努力の事例から」

「L1教育からイマージョンへ―朝鮮学園の継承語保持努力の事例から」

湯川笑子(京都ノートルダム女子大学)
Ⓒ2003 YUKAWA

母語・継承語・バイリンガル教育研究会

パネル「もう一つの年少者日本語教育—継承語教育の課題」
パネル4「L1教育からイマージョンへ―
朝鮮学園の継承語保持努力の事例から」
湯川笑子
(京都ノートルダム女子大学)

 4番目のパネラーとして、継承語教育のひとつの実践、朝鮮語イマージョンの事例を紹介したいと思う。コーディネーターから、最初に継承語教育が外国語教育と違う点、および、世界的に継承語教育がかかえる課題をまとめていただいた。私が述べる事例は日本語教育ではなく朝鮮語教育であるが、これは、「風前の灯火」であったり、非常に運営が難しいことが多い継承語教育の中で、戦後半世紀にわたって継承語教育を存続させてきたひとつの成功事例である。継承語教育の実践はそれぞれの事例が独特の社会的背景をもち、それぞれに違った組み合わせの言語を維持する営みであるので、この事例を他の全ての継承語教育現場にそのまま応用すればよいというものではない。しかし、身近なところで実践されているのにあまり知られていない朝鮮学園のイマージョンの実践を、ひとつの継承語教育実践の事例としてこの機会に的さんに紹介したいと思う。
 簡単に朝鮮学園の歴史的背景をさかのぼる。辛(1998)によると、在日コリアンは、1910年の「日韓併合」以来急激に増加したとある。1910年当時は約800人だったのが、1945年初頭には、在日コリアンの数は200万人を超えた。戦後多くの人が帰国したが、「すでに生活の埸盤が日本にあった者や、祖国の親族がすべて亡くなった者、統一した祖国で生活を考えていた者など、さまざまな理由で、約100万人が日本に残」ったとある(p.171)。
 1945年の解放とともに、在日コリアンはそれまでの35年にわたる植民地支配の中で「奪われた民族文化を取り戻す活動を始めた。それは「朝鮮語」を取り戻すこと」(李, 1999:p. 139)でもあった。戦後すぐに、日本全国に朝鮮人による国語講習所が「噴出」(ウリハッキョをつづる会(編)2001:p. 34)し、1955年には、朝鮮民主主義人民共和国(1948年創建)の海外公民としての立場を明確にした在日本朝鮮人総聯が結成され、以後朝鮮学園(以後朝鮮学校と呼ぶ)の運営母体となった(全国に219校(辛, 1998))。
 現在全国に広がる朝鮮学校で学ぶ子どもたちは3世から5世が主流で、その先生は2世か3世が主体である。子どもたちの家庭では日本語が話され、言語シフトが日本語へとほぼ完了した中で子どもたちは日本語を第1言語としておぼえ、幼稚園、あるいは小学校から朝鮮学校に入学して初めて、朝鮮語を第2言語としてイマージョン教育の中で学んでいく。したがって、朝鮮学校の教育実践は日本最大の継承語教育であり、日本最大のイマージョン教育実践だと言えるわけで、継承語教育・バイリンガル教育研究者にとって非常に貴重な資料と知識を包含している。
 1945年に国語講習所として朝鮮学校の前身校が始まった頃の状況について、ウリハッキョをつづる会(編)(2001)は、戦後朝鮮半島への「帰国の順番を待つ間、朝鮮人の親たちが切実に必要としたものが、朝鮮語を知らない子供たちに朝鮮語を覚えさせること」(p.34)であったとしている。したがって、1945年の解放の時点ですでに子どもが使う日常の言語が、かなり日本語にシフトしていたことがうかがえる。しかし少なくとも、朝鮮語の方が日本語よりも得意な1世の親が、家庭内で朝鮮語を日常的に使う(あるいは日本語と併用する)ことは今よりは多かったのではないかと想像できる。また教育目的についても、初期には「『帰国』を前提にしたかのような教育内容」(李, 1999:p.101-103)であったので、言語マジョリティがその国に滞在することを前提に二つ目の言語を育てるイマージョン教育とは異なる要素を持っていたといえるのではないかと思われる。
 学校教育法の第一条に定められた学校ではない朝鮮学校は学校に対する補助金の支給額が少なく、高級学校の卒業生は国立の教育機関への入学受験資格が認められていない[1]。しかしそれにもかかわらず、戦後半世紀にわたって中高級学校を卒業生した生徒は約10万人におよぶ(朴, 1997: 72 植田の2001に引用、1996年10月現在)。
 ここでは、イマージョン教育全般についての文献(Baker, 1996; Hamers and Blanc, 2000)、朝鮮学校教育に関する先行文献(植田, 2001; Ryan, 1997)、および、私自身の朝鮮学校幼稚園での2年間にわたるエスノグラフィーの結果(平成13〜14年度科学研究費補助金研究成果報告書、埸盤研究C、課題番号13680363「京都市の朝鮮学校における朝鮮語・日本語バイリンガル教育の方法と成果」)から、この継承語教育実践の特色を考え、なぜ朝鮮学校が、日本社会の様々な逆風の中で今まで継続され得たのかを考えてみたいと思う。
 朝鮮学校がイマージョンによるバイリンガル教育を行っていることは、まだそれほど知られておらず、朝鮮学校内部でも、「イマージョン」という言葉を知らない人がいることからも、この教育実践が北米やヨーロッパの実践とは別に独自に発達してきたことがわかる。しかし、成功しやすいイマージョンの条件として知られている次の(1)から(6)の要素は全て日本における朝鮮学校教育にあてはまる。また、朝鮮学校の場合には、(7)(8)の要素も早期に高い第2言語産出能力を可能にする重要な役割をはたしていると思われる。
(1)任意入学、任意進路変更可
(2)家族・本人・先生の熱意—強い言語イデオロギー、アイデンティティ形成の一部としての言語
(3)クラス内の生徒の第2言語レベルがみな同じ
(4)先生は言語能力の高いバイリンガル 
(5)2言語に高い価値付与(valorization)—言語を使うソーシャルネットワーク
(6)社会と家での母語のサポート
(7)言語間の距離―語順とシンタクスが似ているので過渡期的にコードスイッチングを多用することで早期に自己表現が容易
(8)朝鮮語を国語とする国がある、また、往来もある
 地域で話されている日本語を第1言語として家庭で使う子どもたちが、あえて学校で未知である朝鮮語(3 クラス内の生徒の第2言語レベルがみな同じ)を学ぶには、バイリンガルになりたいという親と子どもの双方の熱意がいる。約60万人といわれる在日コリアンの中でも特にその意志が強い家族が任意に選択して(1 任意入学、任意進路変更可)朝鮮学校に通うことを決める。しかし日本に住んでいる以上日本語も大切で、学校での日本語という授業の他に、家や塾などによる日本語のサポートが行われる(6 社会と家での母語のサポート)。朝鮮学校の先生は私が知る限り、全員在日コリアンの朝鮮学校出身者であり、日本の英語イマージョンなどの場合と違って、日本に永住している日本語と朝鮮語のバイリンガルである(4 先生は言語能力の高いバイリンガル)。したがってこうした先生がたは子どもにとって貴重なロールモデルとしての役割を果たし、学校が朝鮮語使用場所、朝鮮語を使うソーシャルネットワークの中心として、子どもの目にうつる朝鮮語の社会的価値を高める重要な役割を果たしている(5 2言語に高い価値付与)。
 しかし、継承語教育の実践例として朝鮮学校の営みを考える時、継続の力として一番強く感じるのは、(2)の家族・本人・先生の熱意である。カナダのフレンチイマージョンなどのような政府のサポートがなく、社会的にも逆風が吹く中で、親は私学としての授業料や寄付金を出し、先生も多くはない給与にも関わらず民族教育に身を捧げ、その先生を経済面で先生の家族が支えている。在日コリアンとしてのアイデンティティと、そのアイデンティティの不可欠な一部としての朝鮮語を育てたいという親、祖父母、先生らの熱意こそが、この営みを継続させてきた原動力であったと言える。
 その他には、(7)、(8)の要因もプラスに働いているのではないかと考えられる。きちんと変数を制御した研究結果があるわけではないが、朝鮮語が日本語とシンタクスにおいて似ていて、中国から入ってきた単語など語彙の面でも関連のある語が多いため、イマージョン教育が比較的に成果をあげやすいということも言えるように思える。少なくとも、朝鮮語習得の過渡期のかなり早い時期に、文尾の述語動詞部や、助詞の部分(つまり文の根幹の部分)を朝鮮語にし、足りない内容語の部分の語彙を日本語からかりてくるというコードスイッチングをすることで、朝鮮語の文章を産出できた気になれるという現象は幼稚園でもよく観察できた。また、昨今、朝鮮半島への往来は日本人、在日コリアンを問わず増えており、ネイティブスピーカーの朝鮮語(韓国語)話者との接触が、継承語維持にプラスに働いているとも考えられる。
 子どもたちが、朝鮮語イマージョンの中でどのようなスピードでどの程度の朝鮮語を育てているのかについては、前述の科学研究費補助金研究成果報告書「京都市の朝鮮学校における朝鮮語・日本語バイリンガル教育の方法と成果」に生徒の発話データとともに詳しく記載してあり、2004年にはそれを加筆修正の上明石書店から出版の予定なのでそちらを参照していただきたい。ここでは簡単に幼稚園期の3年間の習得状況をまとめておく。年少児は、日常のあいさつなどの非常に多数のルーティーンを通して頻度の高い決まり文句から覚えていき、年少期の後半から年中期にかけてみずからもぽつぽつと朝鮮語で話し出すようになる。年中期になると、それらルーティーンに出てくる朝鮮語を分析的に理解していることがうかがえる発話が出現し、日常的にも生徒間ですら第2言語を使うのが容易になる。年長期には、みかん狩りなどといった学校行事の一部始終を複数の絵に表現した上で、それを語りとしてモノローグで説明するといった長い談話を産出することができるクラスも出てくる。
 このように高い第2言語能力を育てた子どもにまじって小学校1年生から朝鮮学校へ入学する子はどのように朝鮮語を伸ばしていくのか、また、日常会話の能力が小学校中学年から高学年にかけてどのように学業用の言語能力に結びついていくのかについてまだ十分には把握していない。こういう点について詳細な言語データを提示した研究が、少なくとも一般に朝鮮学校関係者以外でも読めるような形で公表されているものの中には見あたらないからである。しかし、大学教育までイマージョンを継続し、2世3世教員を輩出して全国の朝鮮学校に供給している朝鮮学校の実践が、継承語教育機関として世界的にも貴重な成功例のひとつであることは間違いなく、バイリンガル教育の関係者・研究者にとって知識の宝庫であることは疑いがない。今後この実践がさらに様々な觐度から研究され、朝鮮語教育は言うまでもなく、その他の継承語、バイリンガル教育にとって貴重な知識が発掘、紹介されていくことを願いたい。


引用文献
Baker, C. (1996). Foundations of bilingual education and bilingualism, second edition. Clevedon, UK: Multilingual Matters.
学校法人京都朝鮮学園 (1997)『在日朝鮮人の民族教育を考える―朝鮮学校の処遇改善を
求めて』学校法人京都朝鮮学園
Hamers, J. F. and Blanc, M. H. A. (2000). Bilinguality and bilingualism, Second edition. Cambridge: Cambridge University Press.
朴三石(1997)『日本の中の朝鮮学校—21世紀にはばたく―』朝鮮青年社
李月順 (1999) 「在日朝鮮人の民族教育」朴鐘鳴編著『在日朝鮮人第2班—歴史・現状・展望』
明石書店135-174頁
Ryang, S. (1997). North Koreans in Japan: Language, Ideology, and identity. 
        Oxford: Westview   Press.
辛淑玉 (1998)『韓国・北朝鮮・在日コリアン社会がわかる本』ワニ文庫KKベストセラーズ
植田晃次 (2001)「『総聯朝鮮語』の埸礎的研究—そのイデオロギーと実際の重層性」
野呂香代子・山下仁編著『「正しさ」への問いー批判的社会言語学の試み』
三元社111-148頁
ウリハッキョをつづる会(編)(2001)『朝鮮学校ってどんなとこ?』社会評論社

[1] 2003年2月21日付けの朝日新聞(「国立大学入学資格朝鮮学校に認めず」)によれば、全国で各種学校になっている外国人学校のうち、英語で授業をしているいわゆるインターナショナルスクールは約20校、韓国学校や中華学校などが約10校。児童生徒数は全体で約21,000人で、このうち朝鮮学校に通う生徒は11,000人。2003年3月6日、日本にある外国人学校のうち英米にある民間の評価機関によって認証を受けている英語系の学校のみ国立大学の受験資格を認められた。(2003年3月7日朝日新聞(「インターナショナルスクール限定、大学入学資格を付与 文科省発表」)しかし、その後多くの関係者、国立大学教員などの反対にあい、この決定は凍結され再度検討されることになった(2003年3月28日付けの朝日新聞「外国人学校の大学入学資格『欧米系のみ』案凍結」)。

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